F40 Prototipo
40周年記念モデルとして何を出すか他にも候補があったらしいが、288GTOの存在を霞ませたライバル・ポルシェ959への強い対抗意識から
エンツォ自身が上288GTOエボベースの最強スーパースポーツを強く推したという。
まず288GTOエボのシャーシ開発だが、グループ2や4、Bに対応した308GTBのプライベーター向けマシン(
>>125)を手掛けて実績が評価されていた社外工房のミケロットが行っており、
鋼管スペースフレームをベースに当時のF1で採用していたアルミハニカム素材や 現在主流のカーボン・ケブラー素材が惜しみなく投入された先進的構成だった。
完成したF40は、ホイールベースが288と共通ながらワイドトレッド化などによって車体が大型化したが、288よりも軽い1100㎏を実現。
それを走らせるエンジンはツインターボの過給圧を288より上げるなどして、当時のロードカーとしては破格の478ps発生。最高速は370㎞を記録した。
生産数は当初限定400台(F40なので)で12気筒テスタロッサの2倍以上の価格だったが、富裕層、投機スジから絶大な支持を得て予定を950台に変更するも、
生産終了の92年までに1315台が世に送り出された。
その後に新生ブガッティやマクラーレンの誕生を促した、世の中に「超高額、超高性能スーパースポーツに市場がある」事を世に知らしめたパイオニア的存在でもある。
画像はそのF40のプロトタイプで、右下が1987年7月にマラネロで初公開された姿に近い。
生産型との違いは
①リアサイドの縦スリット穴が5個(生産型4個)
②リアウインドウのスリットが10段、2列(生産型5段、2列+下段中央1)
③フロントスカート下部に黒色のリップスポイラー無し
④サイドウインドウがプレクシ製の水平スライド型
⑤リアフォグランプ無し
⑥ドアミラー無し・・・など
尚、画像のミラー付モデルは量産試作らしいが、ミラーの取り付け基部の位置(三角窓下部)が生産型(ドア側上部)とは異なる。
F40の発表時に会場に現れたエンツォは「今度のはパンツにクソを洩らすほど凄いぞ」と鼻息も荒く上機嫌だったそうだが、
ほぼ1年後の1988年8月14日に、速くそして美しい本車を手土産に天国へ旅立ってしまった。
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