レス数が 450 を超えています。500を超えると表示できなくなるよ。
好きなフェラーリ
▼ページ最下部
※省略されてます すべて表示...
166 Inter Touring Berlinetta (左奥)
>>60の公道仕様(ストラダーレ)で、当時はInter(インテル)と呼んで区別していたようだ。(その区別は195、212にも引き継がれた)
エンジンのデチューン以外メカニカルコンポーネンツはほぼレース仕様>>60のままで、
こちらも複数のカロッツェリアが顧客の要望に応じて様々なボディを架装。
インテルは40台ほどが生産されたらしいが同じものが2つとないという、ほぼ全車ワンオフ状態だったそうな。
ところで、イタリア車でよく出るBerlinetta(ベルリネッタ)とは屋根のある箱型車の意味である。
212 Export Fontana Barchetta C/N 0086E(右手前)
繊細で美しいボディラインが非常に好みなフォンタナ・バルケッタで、UPするのは3回目かな。
以下簡単な解説と所見
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/13...
本画像では判りにくいが、上記リンク先のさらなるリンク先にある
現代のスポーツカーでは真似できない(もしくは真似したらカッコ悪くなる)リアセクションが宇宙規模でユニーク且つ素晴らしい。
>>60の公道仕様(ストラダーレ)で、当時はInter(インテル)と呼んで区別していたようだ。(その区別は195、212にも引き継がれた)
エンジンのデチューン以外メカニカルコンポーネンツはほぼレース仕様>>60のままで、
こちらも複数のカロッツェリアが顧客の要望に応じて様々なボディを架装。
インテルは40台ほどが生産されたらしいが同じものが2つとないという、ほぼ全車ワンオフ状態だったそうな。
ところで、イタリア車でよく出るBerlinetta(ベルリネッタ)とは屋根のある箱型車の意味である。
212 Export Fontana Barchetta C/N 0086E(右手前)
繊細で美しいボディラインが非常に好みなフォンタナ・バルケッタで、UPするのは3回目かな。
以下簡単な解説と所見
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/13...
本画像では判りにくいが、上記リンク先のさらなるリンク先にある
現代のスポーツカーでは真似できない(もしくは真似したらカッコ悪くなる)リアセクションが宇宙規模でユニーク且つ素晴らしい。
575M Superamerica
屋根がこんな風に開く↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250033.jp...
その開いた状態↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250034.jp...
このルーフ開閉機構は>>42で述べた元ピニンファリーナのフィオラヴァンティが持っている特許なんだが、
オープン状態のロングツーリングでは「室内側(屋根の裏側)が汚れるなあ」って言うような
神経質な人には向かないシステムという感じがするな。
屋根がこんな風に開く↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250033.jp...
その開いた状態↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250034.jp...
このルーフ開閉機構は>>42で述べた元ピニンファリーナのフィオラヴァンティが持っている特許なんだが、
オープン状態のロングツーリングでは「室内側(屋根の裏側)が汚れるなあ」って言うような
神経質な人には向かないシステムという感じがするな。
250 GT SWB Bertone (1960年)
ベルトーネ在籍時にジウジアーロが手掛けた初のフェラーリ作品で、おそらく氏が22歳ころのお仕事。
残念ながらワンオフで終わり、またフェラーリらしさに乏しいかも知れないが、他の250シリーズより軽快でシャープな魅力あるスタイルは流石である。
>>90補足
俺が思っている肝心な前提が抜け落ちてしまった。
575M Superamericaのルーフ開閉機構は非常にシンプルな仕組みであるところが大変素晴らしい。
物事を単純にまとめるのはとても難しく、考えすぎて複雑になったCR-Xデルソルが持つルーフ開閉機構の対極に位置するグッドアイデアと思う。
(ルノー・ウインドも同機構を使っている)
個人的に、ピニンファリーナに在籍したデザイナーで1,2を争う才能を持っていたと思うフィオラヴァンティもまた流石である。
ベルトーネ在籍時にジウジアーロが手掛けた初のフェラーリ作品で、おそらく氏が22歳ころのお仕事。
残念ながらワンオフで終わり、またフェラーリらしさに乏しいかも知れないが、他の250シリーズより軽快でシャープな魅力あるスタイルは流石である。
>>90補足
俺が思っている肝心な前提が抜け落ちてしまった。
575M Superamericaのルーフ開閉機構は非常にシンプルな仕組みであるところが大変素晴らしい。
物事を単純にまとめるのはとても難しく、考えすぎて複雑になったCR-Xデルソルが持つルーフ開閉機構の対極に位置するグッドアイデアと思う。
(ルノー・ウインドも同機構を使っている)
個人的に、ピニンファリーナに在籍したデザイナーで1,2を争う才能を持っていたと思うフィオラヴァンティもまた流石である。
Pinin
1980年ピニンファリーナ社創業50周年を記念して作られたコンセプトカー「フェラーリ・ピニン」。
創業者バティスタ・ピニンファリーナ(一昨年他界されたセルジオ元総裁の父)は4ドアフェラーリ製作を夢見ていたが、
エンツォが頑なに拒み続けたため実現していなかった。(4シーターは良くても4ドアは信念に反した行為?)
この時はマラネロから古き良き友人へ敬意を込めて「ワンオフなら好きにしていいよ」という事だったようだ。
本車は一見何の変哲も無いセダンだが、熟考されたシンプルな面構成に流行とは無縁の普遍的な美しさが感じられる。
これは、開閉しない(=現実的でない)フラッシュサーフェース側面窓部分による功績が大きいが、スバルSVXの窓開閉手法を用いれば実現不可能な形ではない。
ところで、現代になっても需要がありそうな4ドアフェラーリは存在していないが、その役割は同じグループのマセラティが担っているのだろう。
ただしそういう目で見ると新型クアトロポルテやギブリはライバルセダン郡に埋没しており、本車で示すようなカリスマ性やオーラが絶対的に不足しているな。
その点において、ピニンファリーナ(=ケン奥山氏)デザインの先代クアトロポルテはいい線を行っていたなと思っている
1980年ピニンファリーナ社創業50周年を記念して作られたコンセプトカー「フェラーリ・ピニン」。
創業者バティスタ・ピニンファリーナ(一昨年他界されたセルジオ元総裁の父)は4ドアフェラーリ製作を夢見ていたが、
エンツォが頑なに拒み続けたため実現していなかった。(4シーターは良くても4ドアは信念に反した行為?)
この時はマラネロから古き良き友人へ敬意を込めて「ワンオフなら好きにしていいよ」という事だったようだ。
本車は一見何の変哲も無いセダンだが、熟考されたシンプルな面構成に流行とは無縁の普遍的な美しさが感じられる。
これは、開閉しない(=現実的でない)フラッシュサーフェース側面窓部分による功績が大きいが、スバルSVXの窓開閉手法を用いれば実現不可能な形ではない。
ところで、現代になっても需要がありそうな4ドアフェラーリは存在していないが、その役割は同じグループのマセラティが担っているのだろう。
ただしそういう目で見ると新型クアトロポルテやギブリはライバルセダン郡に埋没しており、本車で示すようなカリスマ性やオーラが絶対的に不足しているな。
その点において、ピニンファリーナ(=ケン奥山氏)デザインの先代クアトロポルテはいい線を行っていたなと思っている
Dino 166P/206P
大方御存知かと思うがディーノとは若くして亡くなったエンツォの息子アルフレッドの愛称。
ディーノの名前は50年代のF1レーシングモデルに使われていたが、彼が生前V6エンジンプロジェクトに関わっていた事から
このV6スポーツプロトタイプレースカーにもその名称が使われた。
1.6Lからスタートして主に耐久レースに出場、2倍も3倍も大きな排気量を持つライバル勢を向こうに回し、ニュルブルクリンク1000 kmでは総合4位入賞と活躍。
後に2Lに発展し'90年代まで数々のレースに参戦していたそうな。
画像は、イタリア北部コモ湖畔で開催された世界6大自動車コンクールのひとつ『コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2013』の様子で、
本車輌は「レースが育てた血統」部門のクラスウィナーを取っている。
大方御存知かと思うがディーノとは若くして亡くなったエンツォの息子アルフレッドの愛称。
ディーノの名前は50年代のF1レーシングモデルに使われていたが、彼が生前V6エンジンプロジェクトに関わっていた事から
このV6スポーツプロトタイプレースカーにもその名称が使われた。
1.6Lからスタートして主に耐久レースに出場、2倍も3倍も大きな排気量を持つライバル勢を向こうに回し、ニュルブルクリンク1000 kmでは総合4位入賞と活躍。
後に2Lに発展し'90年代まで数々のレースに参戦していたそうな。
画像は、イタリア北部コモ湖畔で開催された世界6大自動車コンクールのひとつ『コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2013』の様子で、
本車輌は「レースが育てた血統」部門のクラスウィナーを取っている。
Dino 206 GT
何かと説明不要かと思うが、とりあえず書いてみる。(誤りがある場合は寛大なお気持ちの上で御指摘くだされ)
フェラーリのクオリティを持った小型スポーツカーにビジネスチャンスがあると踏んだエンツォがまず計画したのが1000ccクーペで、
フェラーリ=12気筒イメージを守るため別ブランドで出したが成功したとは言えなかった。(後のASA1000)
そして新たに計画したのがこのV6ミッドシップのディーノで、こちらも息子の愛称を使って別ブランド化。(後にフェラーリになっている)
また当時軽量GTとした台頭してきた911を迎撃するポジション的意味合いも担っていた。
上の206Pをベースに開発されたが、エンジンレイアウトは縦置きから横置きへと変更されている。
また、このシリーズ(V6や8のMR)は名前の付け方が変更され上の2桁が排気量で末尾が気筒数となり、
これは>>59の348まで継続(>>20のF355は3.5Lと目玉機構の5バルブ、360、F430排気量のみ)、最近458で復活している。
尚、本車次代の246GTはエンジンの他にホイールベースが6cm延長されるなどの違いがあるが、1番見分けやすいポイントは左Cピラーにある給油口。
206がフューエルキャップむき出しなのに対し、246はボディと面一の円形リッドに隠されている点が異なる。
ただし206の生産数は150台程なのであまり見る機会はないかも知れない。
参考:ASA 1000GT
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/36...
何かと説明不要かと思うが、とりあえず書いてみる。(誤りがある場合は寛大なお気持ちの上で御指摘くだされ)
フェラーリのクオリティを持った小型スポーツカーにビジネスチャンスがあると踏んだエンツォがまず計画したのが1000ccクーペで、
フェラーリ=12気筒イメージを守るため別ブランドで出したが成功したとは言えなかった。(後のASA1000)
そして新たに計画したのがこのV6ミッドシップのディーノで、こちらも息子の愛称を使って別ブランド化。(後にフェラーリになっている)
また当時軽量GTとした台頭してきた911を迎撃するポジション的意味合いも担っていた。
上の206Pをベースに開発されたが、エンジンレイアウトは縦置きから横置きへと変更されている。
また、このシリーズ(V6や8のMR)は名前の付け方が変更され上の2桁が排気量で末尾が気筒数となり、
これは>>59の348まで継続(>>20のF355は3.5Lと目玉機構の5バルブ、360、F430排気量のみ)、最近458で復活している。
尚、本車次代の246GTはエンジンの他にホイールベースが6cm延長されるなどの違いがあるが、1番見分けやすいポイントは左Cピラーにある給油口。
206がフューエルキャップむき出しなのに対し、246はボディと面一の円形リッドに隠されている点が異なる。
ただし206の生産数は150台程なのであまり見る機会はないかも知れない。
参考:ASA 1000GT
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/36...
328 GTB
Wikiを見たら「歴代フェラーリの中で最もフェラーリらしく優雅で美しいとされるモデルのひとつ」と書かれていたが、ちょっと違うだろう。
基本的に308GTB(>>42、GTS>>80)のマイナーチェンジ版だと思うが、308の持っていた良さをこの新装のフロントグリルが台無しにしている。
エアダムスカートを黒く塗って誤魔化しているが、上下に厚くなったグリルはオリジナル(308)の軽快感をひどくスポイルしているし、
何よりゴージャスなお顔の化粧が全体のピュアスポーツな雰囲気に全く合っていない。
また、同じくフィオラヴァンティのデザインとなっていたが、それが本当なら直前に288GTOを仕上げた氏の作品とは思えない出来栄えで、
恐らく本人も気に入っていないだろうとな思う。
Wikiを見たら「歴代フェラーリの中で最もフェラーリらしく優雅で美しいとされるモデルのひとつ」と書かれていたが、ちょっと違うだろう。
基本的に308GTB(>>42、GTS>>80)のマイナーチェンジ版だと思うが、308の持っていた良さをこの新装のフロントグリルが台無しにしている。
エアダムスカートを黒く塗って誤魔化しているが、上下に厚くなったグリルはオリジナル(308)の軽快感をひどくスポイルしているし、
何よりゴージャスなお顔の化粧が全体のピュアスポーツな雰囲気に全く合っていない。
また、同じくフィオラヴァンティのデザインとなっていたが、それが本当なら直前に288GTOを仕上げた氏の作品とは思えない出来栄えで、
恐らく本人も気に入っていないだろうとな思う。
375 MM Pininfarina “Bergman Coupe”
アメリカ市場向け340の進化型375ファミリーの1番星と言われるピニンファリーナ製375MM(Mille Miglia)。
大排気量のV12は精密、繊細さが特徴のコロンボ系ではなくアウレリオ・ランブレディの設計。
そしてこのクルマは、ローマ出身の映画監督ロッセリーニがハリウッド女優のイングリッド・バーグマンのためにオーダーしたという
曰くつきのワンオフモデル。
4.5L,340psの本車はストラダーレの皮を被ったスポーツモデルと言われ、絶世の美女バーグマンが本当に運転したのどうかはちょっと・・・。
1954年登場で、ボディサイドのくぼみに近似性があるシボレー・コルベットC1の中期型とほぼ同時期。
他の欧州向けフェラーリとは異なる米国向けらしい押し出しの強いスタイリングを特徴としている
アメリカ市場向け340の進化型375ファミリーの1番星と言われるピニンファリーナ製375MM(Mille Miglia)。
大排気量のV12は精密、繊細さが特徴のコロンボ系ではなくアウレリオ・ランブレディの設計。
そしてこのクルマは、ローマ出身の映画監督ロッセリーニがハリウッド女優のイングリッド・バーグマンのためにオーダーしたという
曰くつきのワンオフモデル。
4.5L,340psの本車はストラダーレの皮を被ったスポーツモデルと言われ、絶世の美女バーグマンが本当に運転したのどうかはちょっと・・・。
1954年登場で、ボディサイドのくぼみに近似性があるシボレー・コルベットC1の中期型とほぼ同時期。
他の欧州向けフェラーリとは異なる米国向けらしい押し出しの強いスタイリングを特徴としている
330 GTO
簡単な解説やら250GTO(>>57)との識別点など↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/47...
尚、識別点として他に
(1)ヘッドランプの下の補助灯が丸い(250=四角?)
(2)ボディ側面のスリット(エアアウトレット)数が片側3個(250=2個?)
などが考えられるが、(2)に関しては250にも3個のタイプが存在するので識別点としては使えなさそうだ。
下は本画像車とおそらく同一個体で丸い補助灯が確認できるショット
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1378536855/17...
簡単な解説やら250GTO(>>57)との識別点など↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/47...
尚、識別点として他に
(1)ヘッドランプの下の補助灯が丸い(250=四角?)
(2)ボディ側面のスリット(エアアウトレット)数が片側3個(250=2個?)
などが考えられるが、(2)に関しては250にも3個のタイプが存在するので識別点としては使えなさそうだ。
下は本画像車とおそらく同一個体で丸い補助灯が確認できるショット
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1378536855/17...
P540 SuperFast Aperta(アペルタ)
>>51のストラダーレ版で端を発したオーダーメイドモデル(ワンオフ:約3億5000万円)製作を
ピニンファリーナがビジネスとしてプロジェクト化した第一弾が>>41のSP1。
そしてこれが第二弾でアメリカ人が発注したものらしい。
少々コルベットC3風デザインをフェラーリ(ピニンファリーナ)っぽくないので不思議に感じていたが、
オーダー自体がが1969年に日本でも公開された映画「世にも怪奇な物語(邦題)」の劇中車である
Ferrari 330 GT(orLMB) Spider(以下リンク参照)ということである。
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250036.jp... (鮮明な画像がないので現存しないのかも)
元のクルマはそれほどコルベット風ではないので、現代調アレンジの段階でちょっとマッシブにし過ぎたのかも。
尚、カラーリングはリンク左下画像のイメージ再現と推測。
因みにベースは599GTBということだが、ヘッドランプユニットは612 Scaglietti(>>32、>>104)のものが使われているようだ。
オリジナル330GTイメージに近付けるべくそうしたのだと勝手に推測せり。
>>51のストラダーレ版で端を発したオーダーメイドモデル(ワンオフ:約3億5000万円)製作を
ピニンファリーナがビジネスとしてプロジェクト化した第一弾が>>41のSP1。
そしてこれが第二弾でアメリカ人が発注したものらしい。
少々コルベットC3風デザインをフェラーリ(ピニンファリーナ)っぽくないので不思議に感じていたが、
オーダー自体がが1969年に日本でも公開された映画「世にも怪奇な物語(邦題)」の劇中車である
Ferrari 330 GT(orLMB) Spider(以下リンク参照)ということである。
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250036.jp... (鮮明な画像がないので現存しないのかも)
元のクルマはそれほどコルベット風ではないので、現代調アレンジの段階でちょっとマッシブにし過ぎたのかも。
尚、カラーリングはリンク左下画像のイメージ再現と推測。
因みにベースは599GTBということだが、ヘッドランプユニットは612 Scaglietti(>>32、>>104)のものが使われているようだ。
オリジナル330GTイメージに近付けるべくそうしたのだと勝手に推測せり。
Lancia Ferrari D50
もともとはランチアのクルマなんだが、ランチアのF1撤退を機に1955年フェラーリに譲渡されたもの。(フロントにエンブレムあり)
車高を下げる為、ドライブシャフトが座席の下を通らないようにフロントのエンジンが斜めに搭載され、
また特徴的なサイドポンツーンはそこに燃料を収めることで、燃料消費による前後重量バランスの変化を抑える狙いがあった。
本車譲渡とほぼ同時に、このクルマの設計者である天才ヴィットリオ・ヤーノ技師もフェラーリへ移籍し、
後にエンツォの息子アルフレード(ディノ)と共にV6およびV8エンジンを開発、現在まで続くスモールフェラーリ系譜の礎を作っている。
↓あまり役に立つ情報はあまりないが
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/14...
もともとはランチアのクルマなんだが、ランチアのF1撤退を機に1955年フェラーリに譲渡されたもの。(フロントにエンブレムあり)
車高を下げる為、ドライブシャフトが座席の下を通らないようにフロントのエンジンが斜めに搭載され、
また特徴的なサイドポンツーンはそこに燃料を収めることで、燃料消費による前後重量バランスの変化を抑える狙いがあった。
本車譲渡とほぼ同時に、このクルマの設計者である天才ヴィットリオ・ヤーノ技師もフェラーリへ移籍し、
後にエンツォの息子アルフレード(ディノ)と共にV6およびV8エンジンを開発、現在まで続くスモールフェラーリ系譜の礎を作っている。
↓あまり役に立つ情報はあまりないが
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/14...
340 America Vignale Spyder
フェラーリにとって重要な販売拠点となるアメリカ市場向けはこの340(1951年)からスタート。
後に342、375へと進化するが、それぞれに多様な車型が存在し>>103バーグマンクーペもそのひとつ。
又前述したように、アメリカの顧客の要求に応えるべく大排気量でトルクフルなランブレディ系のV12E/Gを搭載する。
本車は純コンペティションマシンで>>61と同様ボディはカロッツェリア・ヴィニャーレ製。
補助灯やサイドのエアアウトレットのメッキリングの有無など細部が異なるが全体は以下みたいな感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=L6WIkM7jar...
繰り返しになるがヴィニャーレデザインは品の良い美しさと力強さの両方を兼ね備えている点が素晴らしい。
尚、手持ちのヴィニャーレ車画像群からの推測だが、ボディサイド片側3個の楕円状エアアウトレットは、
当時の同社デザインのトレードマーク(アイデンティティ)だったと思われる。
参考:ヴィニャーレデザインのアバルト Abarth 205 Vignale Berlinetta
http://bbs44.meiwasuisan.com/car/1331111099/20...
フェラーリにとって重要な販売拠点となるアメリカ市場向けはこの340(1951年)からスタート。
後に342、375へと進化するが、それぞれに多様な車型が存在し>>103バーグマンクーペもそのひとつ。
又前述したように、アメリカの顧客の要求に応えるべく大排気量でトルクフルなランブレディ系のV12E/Gを搭載する。
本車は純コンペティションマシンで>>61と同様ボディはカロッツェリア・ヴィニャーレ製。
補助灯やサイドのエアアウトレットのメッキリングの有無など細部が異なるが全体は以下みたいな感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=L6WIkM7jar...
繰り返しになるがヴィニャーレデザインは品の良い美しさと力強さの両方を兼ね備えている点が素晴らしい。
尚、手持ちのヴィニャーレ車画像群からの推測だが、ボディサイド片側3個の楕円状エアアウトレットは、
当時の同社デザインのトレードマーク(アイデンティティ)だったと思われる。
参考:ヴィニャーレデザインのアバルト Abarth 205 Vignale Berlinetta
http://bbs44.meiwasuisan.com/car/1331111099/20...
275 GTS & 275 GTB (共に>>34と>>85で既出)
この2台は'64年パリサロンで同時発表の兄弟車。
タイヤに対する着座位置が違っていそうでそうは見えないが、2400mmのホイールベースを含めて
シャーシやエンジンなどメカニカルコンポーネンツはほぼ共通。
エンジンはスパイダー(S)がベルリネッタ(B)より20psほどピークパワーが下げられているが、
常用域のトルクを太らせたクルマの性格に合わせたチューンがされていたそうな。
デザインは共にピニンファリーナだが、見ての通り性格に合わせてスタイルが振り分けられており、スパイダーは気品ある軽快感が魅力。
いつも言っているが、女性にも似合いそうな「エレガントなスパイダー」を創らせると、さすがはピニンファリーナって感じである。
尚、GTBは後にエンジンヘッドがツインカム化されたGTB/4(4はカムシャフトの数)が追加されたが、本車がそのどちらかは不明
この2台は'64年パリサロンで同時発表の兄弟車。
タイヤに対する着座位置が違っていそうでそうは見えないが、2400mmのホイールベースを含めて
シャーシやエンジンなどメカニカルコンポーネンツはほぼ共通。
エンジンはスパイダー(S)がベルリネッタ(B)より20psほどピークパワーが下げられているが、
常用域のトルクを太らせたクルマの性格に合わせたチューンがされていたそうな。
デザインは共にピニンファリーナだが、見ての通り性格に合わせてスタイルが振り分けられており、スパイダーは気品ある軽快感が魅力。
いつも言っているが、女性にも似合いそうな「エレガントなスパイダー」を創らせると、さすがはピニンファリーナって感じである。
尚、GTBは後にエンジンヘッドがツインカム化されたGTB/4(4はカムシャフトの数)が追加されたが、本車がそのどちらかは不明
330 GT 2+2
本車の解説の前にちょっと訂正って言うか追記。
>>85の275GTBで「初のロードカー設計」とあるが、「ベルリネッタ(高性能箱型車)としては」という前提が抜けていた。
それよりも前に>>93の250GTE 2+2とかを作っているし。
で本車だが、その250GTE 2+2の後継たる位置付けで、同じく2+2レイアウトとなっている。
エンジンは330アメリカから引き継ぐ4LのV12で、コロンボ系の“ショートブロック”と呼ばれるケースをベースとしたもの。
ホイールベースは先代250より50mm延ばされたが、それは後席乗員のの快適性UPに充てられている。
そして一大特徴がこの丸型4灯ヘッドライト。固定式でフェラーリとしては凄く珍しいしちょっと違和感もある。
これは当時(1964年)アメリカで4灯式H/Lが流行していたことを受けてデザインに取り入れたらしい。
が、当時でも不評だったのか、この顔は約1年でマイナーモデルチェンジし上の275GTSとそっくりの顔になっている。(シリーズⅡ、サイドの排気ルーバーも275GTSタイプに)
因みに、>>38の330GT Coupeはこのクルマがベースのワンオフで、ほとんど同形状の黄色いカブリオレも1台作られている事が判った。
本車の解説の前にちょっと訂正って言うか追記。
>>85の275GTBで「初のロードカー設計」とあるが、「ベルリネッタ(高性能箱型車)としては」という前提が抜けていた。
それよりも前に>>93の250GTE 2+2とかを作っているし。
で本車だが、その250GTE 2+2の後継たる位置付けで、同じく2+2レイアウトとなっている。
エンジンは330アメリカから引き継ぐ4LのV12で、コロンボ系の“ショートブロック”と呼ばれるケースをベースとしたもの。
ホイールベースは先代250より50mm延ばされたが、それは後席乗員のの快適性UPに充てられている。
そして一大特徴がこの丸型4灯ヘッドライト。固定式でフェラーリとしては凄く珍しいしちょっと違和感もある。
これは当時(1964年)アメリカで4灯式H/Lが流行していたことを受けてデザインに取り入れたらしい。
が、当時でも不評だったのか、この顔は約1年でマイナーモデルチェンジし上の275GTSとそっくりの顔になっている。(シリーズⅡ、サイドの排気ルーバーも275GTSタイプに)
因みに、>>38の330GT Coupeはこのクルマがベースのワンオフで、ほとんど同形状の黄色いカブリオレも1台作られている事が判った。
330 GTC
上330GT 2+2の4L,V12エンジンを使い>>85,>>117の275GTBに近いメカニカルコンポーネンツ上に構築された2シータークーペ(C)。
250GTOにも似たレーシー(攻撃的)なGTBに対し、250GTルッソ(>>71、Lusso=贅沢な)に近いエレガントGTって感じ。
フロントデザインは>>79、400 Superamerica似で後継の500 Superfastに近く、リアは>>117、275GTS(スパイダー)とほぼそのまま同じ、
その狭間に軽快でスポーティなクーペキャビンが新たにピニンファリーナによってデザインされている。
当時の富裕層に指示されヒット作となり約600台が作られたそうな。
上330GT 2+2の4L,V12エンジンを使い>>85,>>117の275GTBに近いメカニカルコンポーネンツ上に構築された2シータークーペ(C)。
250GTOにも似たレーシー(攻撃的)なGTBに対し、250GTルッソ(>>71、Lusso=贅沢な)に近いエレガントGTって感じ。
フロントデザインは>>79、400 Superamerica似で後継の500 Superfastに近く、リアは>>117、275GTS(スパイダー)とほぼそのまま同じ、
その狭間に軽快でスポーティなクーペキャビンが新たにピニンファリーナによってデザインされている。
当時の富裕層に指示されヒット作となり約600台が作られたそうな。
Mondial 3.2 Cabriolet
モンディアルは大きく3期のタイプに分かれるが、>>56は308GTB(>>42)の4シーター的位置付けで同3Lエンジンの初期型(モンディアル8)で、
本車は中期型(モンディアル3.2)で328GTB(>>99)と同じ3.2LE/Gに換装されている。
外観もバンパーがボディと同色になり顔も328(ていうかテスタロッサ)と同様のデザインが与えられた。
本車はオープンタイプのキャビンで、どういう区別なのかは知らないが“スパイダー”ではなく“カブリオレ”と言う名称。
モンディアルは他の2シーターに較べてキャビン部分が大きいのがデザイン上の弱点かと思うが、
オープンだとそれが気になりにくく、クローズドタイプより軽快で良さげな感じがするな。
因みに後期型(モンディアルT)は348tb(>>59)と同じ3.4Lになり、ボディサイドのエアインテイクが何故かカッコ悪い直角四角形に変更されている。
(空気吸入という純機能上の問題からそうなったのではと推測)
モンディアルは大きく3期のタイプに分かれるが、>>56は308GTB(>>42)の4シーター的位置付けで同3Lエンジンの初期型(モンディアル8)で、
本車は中期型(モンディアル3.2)で328GTB(>>99)と同じ3.2LE/Gに換装されている。
外観もバンパーがボディと同色になり顔も328(ていうかテスタロッサ)と同様のデザインが与えられた。
本車はオープンタイプのキャビンで、どういう区別なのかは知らないが“スパイダー”ではなく“カブリオレ”と言う名称。
モンディアルは他の2シーターに較べてキャビン部分が大きいのがデザイン上の弱点かと思うが、
オープンだとそれが気になりにくく、クローズドタイプより軽快で良さげな感じがするな。
因みに後期型(モンディアルT)は348tb(>>59)と同じ3.4Lになり、ボディサイドのエアインテイクが何故かカッコ悪い直角四角形に変更されている。
(空気吸入という純機能上の問題からそうなったのではと推測)
456 GT Venice(ヴェニス)
ブルネイ・ダルサラーム国のスルタンのためにピニンファリーナが特別に仕立てたワンオフで、3台作られたそうな。
リアビューはこんな感じ↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250037.jp...
オリジナル456GT(>>98)をデザインした時からこの仕様を考えていたんじゃなかろうかと思うほど、
どこから見ても破綻の無い完璧な仕上がりである。
ブルネイ・ダルサラーム国のスルタンのためにピニンファリーナが特別に仕立てたワンオフで、3台作られたそうな。
リアビューはこんな感じ↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250037.jp...
オリジナル456GT(>>98)をデザインした時からこの仕様を考えていたんじゃなかろうかと思うほど、
どこから見ても破綻の無い完璧な仕上がりである。
SP12 EC
>>41,>>109に続く特別注文製作モデルで依頼主はスーパーギタリストのエリック・クラプトン。
彼が好きだった512BB(>>8、365GT4 BB>>66)のイメージを取り入れたデザインで、
ベース車両は458イタリアだそうな。
詳しくはこちら↓で
http://jp.autoblog.com/2012/05/26/ferrari-sp12-ec-off...
尚、記事で書かれている部分の他に、458とは異なるエンジンフードのオープニングラインや
その直前の縦長のスリットも512(365)BBデザインからの引用である。
個人的にクラプトンは好きなアーティスト(レコードアルバム持ってる)なのでちょっと感慨深いな。
>>41,>>109に続く特別注文製作モデルで依頼主はスーパーギタリストのエリック・クラプトン。
彼が好きだった512BB(>>8、365GT4 BB>>66)のイメージを取り入れたデザインで、
ベース車両は458イタリアだそうな。
詳しくはこちら↓で
http://jp.autoblog.com/2012/05/26/ferrari-sp12-ec-off...
尚、記事で書かれている部分の他に、458とは異なるエンジンフードのオープニングラインや
その直前の縦長のスリットも512(365)BBデザインからの引用である。
個人的にクラプトンは好きなアーティスト(レコードアルバム持ってる)なのでちょっと感慨深いな。
850 Monza
50年代に活躍した>>55、>>77などの4気筒レースカーの最終モデル。(本車は860cc×4→約3400cc)
その辺の簡単な解説↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/34...
50年代に活躍した>>55、>>77などの4気筒レースカーの最終モデル。(本車は860cc×4→約3400cc)
その辺の簡単な解説↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/34...
F512 M
180度V型水平対向エンジンの集大成であり、Enzo(>>45)やLa Ferrari(>>72)などのスペチアーレを別にすると最後の通常ライン12気筒ミッドシップ車。(次代はFRの550マラネロ)
最高出力が先代512TR(>>26)の428psから440psに増強され、車重は60kg軽量化されている。
軽量化はリトラクタブルから固定式になったヘッドランプの恩恵も大きいが、見た目のデザイン的な完成度は今ひとつかと。
NSXの時も違和感があったが、リトラクタブルがオリジナルのデザインを小変更で固定式に変更するのは無理があるのだろう。
また、F355(>>20)には似合っている笑った口みたいなフロントグリルも、テスタロッサ(>>1や本画像隣)の基本が四角い造形とはあまり馴染んでいないな。
個人的には、12気筒MRフラッグシップの最後を飾ったにしてはちょっと寂しい印象があるモデルと思う。
関係無いが、手前から3番目のクルマは4.2LフォードV8ユニット(キャロルシェルビーのチューン)を積んだ英国('65年頃)のSunbeam Tiger(サンビーム・タイガー)である。
180度V型水平対向エンジンの集大成であり、Enzo(>>45)やLa Ferrari(>>72)などのスペチアーレを別にすると最後の通常ライン12気筒ミッドシップ車。(次代はFRの550マラネロ)
最高出力が先代512TR(>>26)の428psから440psに増強され、車重は60kg軽量化されている。
軽量化はリトラクタブルから固定式になったヘッドランプの恩恵も大きいが、見た目のデザイン的な完成度は今ひとつかと。
NSXの時も違和感があったが、リトラクタブルがオリジナルのデザインを小変更で固定式に変更するのは無理があるのだろう。
また、F355(>>20)には似合っている笑った口みたいなフロントグリルも、テスタロッサ(>>1や本画像隣)の基本が四角い造形とはあまり馴染んでいないな。
個人的には、12気筒MRフラッグシップの最後を飾ったにしてはちょっと寂しい印象があるモデルと思う。
関係無いが、手前から3番目のクルマは4.2LフォードV8ユニット(キャロルシェルビーのチューン)を積んだ英国('65年頃)のSunbeam Tiger(サンビーム・タイガー)である。
Auto Avio Costruzioni 815
>>82で「最初に世に送り出した」と記したが、それはフェラーリブランドとしてであって、
厳密にはこちらのアウト・アヴィオ・コストゥルツォーニ815がエンツォの最初に作ったクルマ。
1939年、エンツォはセミワークスチームの運営を契約していたアルファロメオとの関係を清算しフリーとなる。
自社のノウハウを知り尽くす彼が独立したことで、たちまち強力なライバルになることを恐れたアルファロメオは
エンツォとの契約解消に際して「5年間は自身の名前を冠したコンストラクターでレースを戦うことは控えること」という特記条項を付けた。
独立したエンツォは特記条項に抵触しない方法を模索。アウト・アヴィオ・コストゥルツォーニという小型航空機用エンジンを製作する会社を設立し、
そこで生まれたクルマがこれ。カロッツェリア・トゥーリング製のボディで直列8気筒1.5リッター(815の由来)を搭載。
1940年にミッレミリアを走っている。(2台製作、両車完走ならず)
フェラーリの名前こそ付かないが記念すべき第一号車である。
>>82で「最初に世に送り出した」と記したが、それはフェラーリブランドとしてであって、
厳密にはこちらのアウト・アヴィオ・コストゥルツォーニ815がエンツォの最初に作ったクルマ。
1939年、エンツォはセミワークスチームの運営を契約していたアルファロメオとの関係を清算しフリーとなる。
自社のノウハウを知り尽くす彼が独立したことで、たちまち強力なライバルになることを恐れたアルファロメオは
エンツォとの契約解消に際して「5年間は自身の名前を冠したコンストラクターでレースを戦うことは控えること」という特記条項を付けた。
独立したエンツォは特記条項に抵触しない方法を模索。アウト・アヴィオ・コストゥルツォーニという小型航空機用エンジンを製作する会社を設立し、
そこで生まれたクルマがこれ。カロッツェリア・トゥーリング製のボディで直列8気筒1.5リッター(815の由来)を搭載。
1940年にミッレミリアを走っている。(2台製作、両車完走ならず)
フェラーリの名前こそ付かないが記念すべき第一号車である。
250 GT Europa(1954年)
サーキットで強いだけでなくそこへ向かうのにも最適というグランドトゥリズモの歴史を切り開き、
また、それまでで最大ヒットとなった250GTシリーズの初期モデル(第1世代)。
先に挙げた340〜375アメリカに対抗するように製作された欧州市場専用モデルで“エウローパ”と呼ばれた。
アメリカ向け4.5Lに対しこちらは3Lでフロントサスも前車の横置きリーフからダブルウィッシュボーンとコイルに改められる。
尚、この前に250Europaと言うモデルがあり、それはランブレディ設計のエンジンだったのだが、このモデル以降はコロンボ設計がベースとなっている。
後にホイールベースが200mm短い新シリーズが作られるようになるが、第1世代は便宜上“LWB”あるいはロングホイールベースと呼ばれるようになった。
(>>44,>>48,>>71が新シリーズの“SWB”ショートホイールベース)
本車のボディデザインはピニンファリーナで製作はスカリエッティが担当。生産数は36台ほどだそうな。
サーキットで強いだけでなくそこへ向かうのにも最適というグランドトゥリズモの歴史を切り開き、
また、それまでで最大ヒットとなった250GTシリーズの初期モデル(第1世代)。
先に挙げた340〜375アメリカに対抗するように製作された欧州市場専用モデルで“エウローパ”と呼ばれた。
アメリカ向け4.5Lに対しこちらは3Lでフロントサスも前車の横置きリーフからダブルウィッシュボーンとコイルに改められる。
尚、この前に250Europaと言うモデルがあり、それはランブレディ設計のエンジンだったのだが、このモデル以降はコロンボ設計がベースとなっている。
後にホイールベースが200mm短い新シリーズが作られるようになるが、第1世代は便宜上“LWB”あるいはロングホイールベースと呼ばれるようになった。
(>>44,>>48,>>71が新シリーズの“SWB”ショートホイールベース)
本車のボディデザインはピニンファリーナで製作はスカリエッティが担当。生産数は36台ほどだそうな。
Ferrari 250 Testa Rossa
先に挙げた4気筒フェラーリ(>>55,>>77,>>129→850は誤で860モンツァ)を使うプライベートユーザーに、よりパワフルなマシンを提供すべく
1957年に開発されたマシンで翌58年シーズンに投入された。
開発当初から'58年に施行されるレギュレーション変更(排気量無制限→3L以下へ)をにらみ、また市販型を重要視していたことから
4気筒シリーズと同じDOHCではなく、当時信頼性が上がっていた上250GTのコロンボ系12気筒SOHCをベースに
6基のツインチョークキャブレターで大幅にチューンされたエンジンを搭載していた。
さらに、シャーシを実績あるある500TRCをベースにするなど全体に堅実な設計がなされていた。
(市販型19台、ワークス仕様15台)
画像は最初期のTR57(or58)年型と呼ばれるタイプで、スカリエッティによるデザイン、製作のボディなのだが、
'56年の860Monza(>>129)や290MMと見比べると、先祖帰りしてしまったかの様なフロントフェンダーが面白い。
ポンツーンフェンダーと呼ばれ、主にフロントドラムブレーキの冷却が狙いだった。
これは、'54年登場のジャガーDタイプが初の全輪ディスクブレーキを装備し当時最強ともされていたことから
ブレーキ性能向上が急務だったからだと思われる。
尚、このTR57年型は500TRCと異なり、赤くペイントされたのはバルブカバーだけでエンジンのヘッドは塗られなかったそうだが、
それでもテスタロッサの名称が付いたのだという事である。
因みに画像奥のシルバー車はポンツーンフェンダーではないTR58と思われ、又、既出の>>23はTR59年型である。
先に挙げた4気筒フェラーリ(>>55,>>77,>>129→850は誤で860モンツァ)を使うプライベートユーザーに、よりパワフルなマシンを提供すべく
1957年に開発されたマシンで翌58年シーズンに投入された。
開発当初から'58年に施行されるレギュレーション変更(排気量無制限→3L以下へ)をにらみ、また市販型を重要視していたことから
4気筒シリーズと同じDOHCではなく、当時信頼性が上がっていた上250GTのコロンボ系12気筒SOHCをベースに
6基のツインチョークキャブレターで大幅にチューンされたエンジンを搭載していた。
さらに、シャーシを実績あるある500TRCをベースにするなど全体に堅実な設計がなされていた。
(市販型19台、ワークス仕様15台)
画像は最初期のTR57(or58)年型と呼ばれるタイプで、スカリエッティによるデザイン、製作のボディなのだが、
'56年の860Monza(>>129)や290MMと見比べると、先祖帰りしてしまったかの様なフロントフェンダーが面白い。
ポンツーンフェンダーと呼ばれ、主にフロントドラムブレーキの冷却が狙いだった。
これは、'54年登場のジャガーDタイプが初の全輪ディスクブレーキを装備し当時最強ともされていたことから
ブレーキ性能向上が急務だったからだと思われる。
尚、このTR57年型は500TRCと異なり、赤くペイントされたのはバルブカバーだけでエンジンのヘッドは塗られなかったそうだが、
それでもテスタロッサの名称が付いたのだという事である。
因みに画像奥のシルバー車はポンツーンフェンダーではないTR58と思われ、又、既出の>>23はTR59年型である。
Pininfarina Ferrari Rossa (ロッサ:2000年)
テスタ・ロッサが“赤い頭”という意味なので、こいつの名称は“赤いフェラーリ”っていう事になるのかな。
ピニンファリーナ社創業70周年を記念して作られたコンセプトカーで、上の250テスタロッサを現代風にアレンジいている。
自社の記念モデルに250TRをデザインした他社のスカリエッティにオマージュを捧げるという、デザイン文化の成熟を示す大人の所業である。
デザイナーはEnzo(>>45)や458(基本骨格まで)などを手掛けたケン奥山氏で、250と同じFRレイアウトの550バルケッタ(>>113)がベースになっている。
尚、本車のテールランプデザインは現ラインナップでも続くフェラーリ独特のスタイル(アイデンティティ)を最初に表現したモノである。
↓参考:テールランプが分かる画像
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250039.jp...
テスタ・ロッサが“赤い頭”という意味なので、こいつの名称は“赤いフェラーリ”っていう事になるのかな。
ピニンファリーナ社創業70周年を記念して作られたコンセプトカーで、上の250テスタロッサを現代風にアレンジいている。
自社の記念モデルに250TRをデザインした他社のスカリエッティにオマージュを捧げるという、デザイン文化の成熟を示す大人の所業である。
デザイナーはEnzo(>>45)や458(基本骨格まで)などを手掛けたケン奥山氏で、250と同じFRレイアウトの550バルケッタ(>>113)がベースになっている。
尚、本車のテールランプデザインは現ラインナップでも続くフェラーリ独特のスタイル(アイデンティティ)を最初に表現したモノである。
↓参考:テールランプが分かる画像
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250039.jp...
599 SA Aperta
こちらはピニンファリーナ社創業80周年記念モデルで限定80台の生産。(上のロッサはコンセプトカー)
ルーフはこのように開ける↓(3:00から)
http://www.youtube.com/watch?v=U2lf8q02DQ...
SAはセルジオ(先々代CEO)とアンドレア(先代CEO:共に逝去)のピニンファリーナ親子に敬意を払った名付け。
>>109と同じAperta(アペルタ)とはイタリア語でオープンカーを指すそうだ。
エンジンはGTO(>>35)用が搭載されており、車重は599GTB(>>3)に対し16kg増加に抑えられている。
ルーフは575M Superamerica(>>90)と同じ開閉システムを持つ599ベースのSuperamerica 45(>>49)よりさらに簡便な開閉機構で、
開閉にやや手間は掛るが、車重UPを極力避けベルリネッタとさほど変わらない運動性能を狙っている。
こちらはピニンファリーナ社創業80周年記念モデルで限定80台の生産。(上のロッサはコンセプトカー)
ルーフはこのように開ける↓(3:00から)
http://www.youtube.com/watch?v=U2lf8q02DQ...
SAはセルジオ(先々代CEO)とアンドレア(先代CEO:共に逝去)のピニンファリーナ親子に敬意を払った名付け。
>>109と同じAperta(アペルタ)とはイタリア語でオープンカーを指すそうだ。
エンジンはGTO(>>35)用が搭載されており、車重は599GTB(>>3)に対し16kg増加に抑えられている。
ルーフは575M Superamerica(>>90)と同じ開閉システムを持つ599ベースのSuperamerica 45(>>49)よりさらに簡便な開閉機構で、
開閉にやや手間は掛るが、車重UPを極力避けベルリネッタとさほど変わらない運動性能を狙っている。
上で肝心な事を書き忘れたのでもう一枚。こちらはルーフを閉じた状態。
ポルシェ・ボクスターRSスパイダーがそうであるように、簡便で軽量、収納しやすい布製の取り外しルーフは他にもあるが、
この様に布製(布じゃないかも?)である事を感じさせない美しいルーフが他にあるだろうか?
リンク動画の2:10や2:54頃を見てもらいたいが、布ルーフ特有の内側骨組みによる凸凹が無い上に、綺麗な曲面を形成している。
確かに取り外し面積がやや小さめだが、閉じた状態の美しさへのこだわりがデザイン会社の記念モデルらしい。
(逆に言うとノーマルとの区別が付きにくくスペシャル感がちょっと・・・)
どんな魔法か知らないが、ピニンファリーナの面目躍如たるところはさすがである。
ポルシェ・ボクスターRSスパイダーがそうであるように、簡便で軽量、収納しやすい布製の取り外しルーフは他にもあるが、
この様に布製(布じゃないかも?)である事を感じさせない美しいルーフが他にあるだろうか?
リンク動画の2:10や2:54頃を見てもらいたいが、布ルーフ特有の内側骨組みによる凸凹が無い上に、綺麗な曲面を形成している。
確かに取り外し面積がやや小さめだが、閉じた状態の美しさへのこだわりがデザイン会社の記念モデルらしい。
(逆に言うとノーマルとの区別が付きにくくスペシャル感がちょっと・・・)
どんな魔法か知らないが、ピニンファリーナの面目躍如たるところはさすがである。
375 MM Scaglietti Coupe Speciale
>>103のバーグマンクーペの少し後(1954年)に作られたストラダーレで、こちらも映画監督ロッセリーニの注文らしい。(自分用??)
(尚、名前からも分かるように中身は>103と同一)
印象が似ているが、バーグマンクーペがピニンファリーナなのに対しこちらはスカリエッティのデザイン、製作ボディ。
ポンツーンフェンダーではないが、ヘッドランプ周辺からフェンダーにかけての造形が後の250TR(TR57>>134)と共通性が高くてちょっと面白い。
ところで、特徴的なリアウインドウはあまりフェラーリっぽくない気もするが、アメリカ好みを意識しての事と推測する。
1951年発売のスチュードベーカー・コマンダー・スターライト・クーペがこんな感じなのでその影響を受けているかも知れない。
参考:スチュードベーカー・コマンダー・スターライト・クーペ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/43...
>>103のバーグマンクーペの少し後(1954年)に作られたストラダーレで、こちらも映画監督ロッセリーニの注文らしい。(自分用??)
(尚、名前からも分かるように中身は>103と同一)
印象が似ているが、バーグマンクーペがピニンファリーナなのに対しこちらはスカリエッティのデザイン、製作ボディ。
ポンツーンフェンダーではないが、ヘッドランプ周辺からフェンダーにかけての造形が後の250TR(TR57>>134)と共通性が高くてちょっと面白い。
ところで、特徴的なリアウインドウはあまりフェラーリっぽくない気もするが、アメリカ好みを意識しての事と推測する。
1951年発売のスチュードベーカー・コマンダー・スターライト・クーペがこんな感じなのでその影響を受けているかも知れない。
参考:スチュードベーカー・コマンダー・スターライト・クーペ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/43...
156 F1
1961年から排気量規定がそれまでの2.5Lから1.5Lに変更されたのだが、その初年度にメイクスとドライバーズの2冠を達成したマシン。
他社に遅れてのフェラーリでは初MRレイアウトのF1でV6“ディーノ”エンジン搭載。(1.5Lの6気筒で156の名前)
何はともあれ二つ穴の尖ったノーズが有名で、“シャークノーズ”とあだ名された。
その年はアルフレード(ディーノ)の開発が源流となる65度V型とチーフエンジニアのカルロ・キティが推した120度V型の2台体制で臨んだが
結果的には新型の120度型がタイトルを奪取することになる。
シーズン前に息子の遺産(65度V型)の起用を強く望んでいたエンツォとそれに反対するカルロ・キティの間の溝は深刻になったという。
結局カルロ・キティはジョット・ビッザリーニらと共に“頭脳集団の反乱”を起こしこの年に退社してしまった。
(この事件で、フェラーリのパフォーマンスがよく落ちなかったと思うし、逆に後継の若い技術者達も凄いと思う)
“頭脳集団の反乱”せいかは不明だが、この記念すべき156F1は現役を終えたあと全てスクラップにされてしまったという。
65度V型の方でタイトルを取っていたら記念として残していたのではないかと見る向きもある。
というわけで、本車はレプリカである。英語が判らないので正確ではないと思うが、65度V型のディーノ246GTのエンジンを改造して
ベルギーの資産家が当時の図面を元に極力忠実に再現したものらしい。
レプリカを載せるのも如何なものかとも思ったが、資料的価値が高いとしても昔の写真を集めるのは趣味じゃないし、
臨場感や雰囲気が非常に気に入ったのでこの画像にしてみた。
(特に帽子の紳士淑女2人がいい感じ。気に入り過ぎて、久しぶりに余計な遊びもしちゃったけれど・・・)
1961年から排気量規定がそれまでの2.5Lから1.5Lに変更されたのだが、その初年度にメイクスとドライバーズの2冠を達成したマシン。
他社に遅れてのフェラーリでは初MRレイアウトのF1でV6“ディーノ”エンジン搭載。(1.5Lの6気筒で156の名前)
何はともあれ二つ穴の尖ったノーズが有名で、“シャークノーズ”とあだ名された。
その年はアルフレード(ディーノ)の開発が源流となる65度V型とチーフエンジニアのカルロ・キティが推した120度V型の2台体制で臨んだが
結果的には新型の120度型がタイトルを奪取することになる。
シーズン前に息子の遺産(65度V型)の起用を強く望んでいたエンツォとそれに反対するカルロ・キティの間の溝は深刻になったという。
結局カルロ・キティはジョット・ビッザリーニらと共に“頭脳集団の反乱”を起こしこの年に退社してしまった。
(この事件で、フェラーリのパフォーマンスがよく落ちなかったと思うし、逆に後継の若い技術者達も凄いと思う)
“頭脳集団の反乱”せいかは不明だが、この記念すべき156F1は現役を終えたあと全てスクラップにされてしまったという。
65度V型の方でタイトルを取っていたら記念として残していたのではないかと見る向きもある。
というわけで、本車はレプリカである。英語が判らないので正確ではないと思うが、65度V型のディーノ246GTのエンジンを改造して
ベルギーの資産家が当時の図面を元に極力忠実に再現したものらしい。
レプリカを載せるのも如何なものかとも思ったが、資料的価値が高いとしても昔の写真を集めるのは趣味じゃないし、
臨場感や雰囲気が非常に気に入ったのでこの画像にしてみた。
(特に帽子の紳士淑女2人がいい感じ。気に入り過ぎて、久しぶりに余計な遊びもしちゃったけれど・・・)
250 TRI/61
シャークノーズつながりで同年のプロトタイプレースカー。
>>134のTR57に続くテスタロッサシリーズで250(3000cc)としては最後になるTRI/61(単にTR61と表記する場合もあり)。
TRIのIはIndependentでTRI60から新たに採用された独立式サスペンションを意味する。(>>23のTR59からTR59/60、TRI60と続きコレとなる)
尚、TRI61はシャーシが新設計となっているが、それまでと大きく違うのは空力を意識し始めたこの外観デザイン。
ノーズがシャープな形状となり側面もフラッシュサーフェース化され、さらにリアが>>77のように丸くない>>107調に切り落とされたカムテールに進化している。
TRI61は2台作られたらしいが、ネット上に出てくるそれらは微妙に形状が異なる。どちらをUPすべきか迷って調べたら、
どうやら本車が1961年のル・マン優勝車らしいと判ったのでコレにした。(その内ネタに困ったらもう一方をUPするかも・・・)
ところで、本車を画像検索しているとやたらとF430(>>54)が出てくるのだが、
WikiによればF430のノーズデザインはシャークノーズをリスペクトして引用している事が判った。
シャークノーズつながりで同年のプロトタイプレースカー。
>>134のTR57に続くテスタロッサシリーズで250(3000cc)としては最後になるTRI/61(単にTR61と表記する場合もあり)。
TRIのIはIndependentでTRI60から新たに採用された独立式サスペンションを意味する。(>>23のTR59からTR59/60、TRI60と続きコレとなる)
尚、TRI61はシャーシが新設計となっているが、それまでと大きく違うのは空力を意識し始めたこの外観デザイン。
ノーズがシャープな形状となり側面もフラッシュサーフェース化され、さらにリアが>>77のように丸くない>>107調に切り落とされたカムテールに進化している。
TRI61は2台作られたらしいが、ネット上に出てくるそれらは微妙に形状が異なる。どちらをUPすべきか迷って調べたら、
どうやら本車が1961年のル・マン優勝車らしいと判ったのでコレにした。(その内ネタに困ったらもう一方をUPするかも・・・)
ところで、本車を画像検索しているとやたらとF430(>>54)が出てくるのだが、
WikiによればF430のノーズデザインはシャークノーズをリスペクトして引用している事が判った。
330 TRI/LM
テスタロッサシリーズの最終進化形であり、またフェラーリにとって最後のFRレイアウトのプロトタイプレースカーで、上の翌1962年のル・マン優勝車。
エンジンはスケールアップされ>>107の330GTOと同型の4リッターとなり390bhpを発生、フェラーリに6度目の優勝をもたらした。
ところで、フロントウインドウ上端が高いのはレギュレーションだったので仕方が無いが、TRI61と比較して何とも無骨な形状に進化し始めている。
シャークノーズも名ばかりで無理やりな感じがあるし、画像では判りにくいがボディ前半の断面が有機的なのに対し後半部は四角い形状でちょっとチグハグだ。
デザインはTR59以降はピニンファリーナが担当しているが、視覚的に速い形と現実のレースで強い形(=空気力学)との乖離が始まった過渡期の現れなのかと思われる。
例えとして適切ではないかも知れないが、新幹線の500系(JR西で運用の尖ったヤツ)がデザイナーの考える速い形(=上のTR61)に対し、
実際に騒音(=空気力学)など運用に適するのは700系以降のカモノハシ状スタイル(=本330TRIと以降のレースカー)が優れるという状況に近い感じがある。
元々我々の世代から見れば、美術デザイナーがレースカーのスタイリングを担当していたのが不思議ではあるのだが、
この時期以降からは、空気力学という論理的技術者がスタイリングを決定付ける事になるその始まりなのかと思われる。
(でも、'64LM優勝ピニンファリーナデザインの275(330)Pはもっとカッコイイよん)
テスタロッサシリーズの最終進化形であり、またフェラーリにとって最後のFRレイアウトのプロトタイプレースカーで、上の翌1962年のル・マン優勝車。
エンジンはスケールアップされ>>107の330GTOと同型の4リッターとなり390bhpを発生、フェラーリに6度目の優勝をもたらした。
ところで、フロントウインドウ上端が高いのはレギュレーションだったので仕方が無いが、TRI61と比較して何とも無骨な形状に進化し始めている。
シャークノーズも名ばかりで無理やりな感じがあるし、画像では判りにくいがボディ前半の断面が有機的なのに対し後半部は四角い形状でちょっとチグハグだ。
デザインはTR59以降はピニンファリーナが担当しているが、視覚的に速い形と現実のレースで強い形(=空気力学)との乖離が始まった過渡期の現れなのかと思われる。
例えとして適切ではないかも知れないが、新幹線の500系(JR西で運用の尖ったヤツ)がデザイナーの考える速い形(=上のTR61)に対し、
実際に騒音(=空気力学)など運用に適するのは700系以降のカモノハシ状スタイル(=本330TRIと以降のレースカー)が優れるという状況に近い感じがある。
元々我々の世代から見れば、美術デザイナーがレースカーのスタイリングを担当していたのが不思議ではあるのだが、
この時期以降からは、空気力学という論理的技術者がスタイリングを決定付ける事になるその始まりなのかと思われる。
(でも、'64LM優勝ピニンファリーナデザインの275(330)Pはもっとカッコイイよん)
Dino 208 GT4
またか!とも思われましょう(確かにガンディーニ贔屓ではある)が、「208」なのであります。
イタリア国内向け仕様で、Dinoシリーズでは最後の登場とになったモデル。
イタリアでは当時付加価値税という制度があって2L以上には30%の税金が課せられたそうで、(1000万の車だと300万の税金!?)
それが免除される2L以下としたモデル。最高出力が308の255psから170psになってしまっている。
外観上に違いがあるか画像を見比べたら、>>111の308にはあるフォグランプが208(本車)には無さそうだということが判った。
ただし、バンパー下のグリル形状が少し異なる後期型にはその法則は当てはまらないようである。
因みにベルリネッタにも同様の208GTBが存在したが、こちらは車体後部のエンブレム以外に違いは無いと手元の文献には記されている。
またか!とも思われましょう(確かにガンディーニ贔屓ではある)が、「208」なのであります。
イタリア国内向け仕様で、Dinoシリーズでは最後の登場とになったモデル。
イタリアでは当時付加価値税という制度があって2L以上には30%の税金が課せられたそうで、(1000万の車だと300万の税金!?)
それが免除される2L以下としたモデル。最高出力が308の255psから170psになってしまっている。
外観上に違いがあるか画像を見比べたら、>>111の308にはあるフォグランプが208(本車)には無さそうだということが判った。
ただし、バンパー下のグリル形状が少し異なる後期型にはその法則は当てはまらないようである。
因みにベルリネッタにも同様の208GTBが存在したが、こちらは車体後部のエンブレム以外に違いは無いと手元の文献には記されている。
(208)GTB Turbo
上で述べた208のパフォーマンス不足を補うべく設定されたターボ仕様で、208表記の無い単なるGTB Turboと名付けられた。(因みにGTS Turboもある)
排ガス規制等で圧縮比が下げられ150psまで低下していた最高出力は308自然吸気に近い220psまで引き上げられ、最高速度は240km/hまで達した。
(ターボでもOKってイタリアの付加価値税ってザル法?)
308との外観上の違いは、左右のツインエクゾースト、ルーフスポイラー、リアタイヤ前のNACAダクトの3点と手元の資料に記されているが、
俺的にはフロントノーズ下面の5個の長方形インテイク穴もそれに含まれると考える。
ところで、関係無いしくどいが、やっぱ328よりこのボディ(308,208)の方が断然カッコイイと思うな。
(尚、見ている人にもそう思ってもらえるような画像を選択し誘導していると白状します)
上で述べた208のパフォーマンス不足を補うべく設定されたターボ仕様で、208表記の無い単なるGTB Turboと名付けられた。(因みにGTS Turboもある)
排ガス規制等で圧縮比が下げられ150psまで低下していた最高出力は308自然吸気に近い220psまで引き上げられ、最高速度は240km/hまで達した。
(ターボでもOKってイタリアの付加価値税ってザル法?)
308との外観上の違いは、左右のツインエクゾースト、ルーフスポイラー、リアタイヤ前のNACAダクトの3点と手元の資料に記されているが、
俺的にはフロントノーズ下面の5個の長方形インテイク穴もそれに含まれると考える。
ところで、関係無いしくどいが、やっぱ328よりこのボディ(308,208)の方が断然カッコイイと思うな。
(尚、見ている人にもそう思ってもらえるような画像を選択し誘導していると白状します)
去年だか一昨年だったか、浜名湖SAのちょい西でディノらしき車と並走した。
昔々、初めて作ったプラモがディノだったので、気になった。
昔々、初めて作ったプラモがディノだったので、気になった。
Zagato 575 GTZ
日本人がザガートにオーダーした特別注文生産品で製造数は6台。
フロントのデザインは>>84とほぼ同じだが、そのバルケッタには無い前輪前のエアアウトレットがこちらには付く。
詳しくは以下で
http://jp.autoblog.com/2011/12/28/online-find-of-the-...
日本人がザガートにオーダーした特別注文生産品で製造数は6台。
フロントのデザインは>>84とほぼ同じだが、そのバルケッタには無い前輪前のエアアウトレットがこちらには付く。
詳しくは以下で
http://jp.autoblog.com/2011/12/28/online-find-of-the-...
定時期に製造されたフェラーリ(テスタロッ
サ、 F355、360モデナまでも)は、イタリア車特有の
内装プ ラスチック箇所のベタベタに、間違いなく悩まさ
れる。 ブロテイン樹脂というやつらしいが、俺のクアト
ロポル テもひどい。
サ、 F355、360モデナまでも)は、イタリア車特有の
内装プ ラスチック箇所のベタベタに、間違いなく悩まさ
れる。 ブロテイン樹脂というやつらしいが、俺のクアト
ロポル テもひどい。
Dino 308 GT4/LM
308GT4がラインナップされたのは、躍進するポルシェ911の後席を持つ高いユーティリティを無視できず、
さりとて中心車種(ベルリネッタ)の高いスポーツ性(=2シーター)は死守したいとの理由から、
246GT(もしくは308GTB)とセットでの迎撃態勢を敷くため。
因みに、ランボルギーニ・ウラッコが4座なのも同様に911対策の意味が大きかった。
本車は北米レーシングチーム(NART:北米でのセミワークス的位置付け)が作った1974年のル・マン仕様。
スポーツカークラスでの出場を目論んでいたが、FIAホモロゲーションの認定を得られずプロトタイプクラスでの出場となってしまった。
残念ながらレースは途中リタイアに終わっている。
308GT4がラインナップされたのは、躍進するポルシェ911の後席を持つ高いユーティリティを無視できず、
さりとて中心車種(ベルリネッタ)の高いスポーツ性(=2シーター)は死守したいとの理由から、
246GT(もしくは308GTB)とセットでの迎撃態勢を敷くため。
因みに、ランボルギーニ・ウラッコが4座なのも同様に911対策の意味が大きかった。
本車は北米レーシングチーム(NART:北米でのセミワークス的位置付け)が作った1974年のル・マン仕様。
スポーツカークラスでの出場を目論んでいたが、FIAホモロゲーションの認定を得られずプロトタイプクラスでの出場となってしまった。
残念ながらレースは途中リタイアに終わっている。
365 GTS/4 Michelotti NART Spyder
フェラーリの北米進出当初(>>114)からそのアメリカ市場を取り仕切っていたのはルイジ・キネッティで、
最重要拠点である現地の趣味、趣向はキネッティの言葉を通じてエンツォに伝えられていた。
その彼が代表を務めていたのが>>153で述べたN.A.R.T(北米レーシングチーム)で、
彼のプロデュースしたワンオフ車という事でこの名前が付く。
ベース車輌は同じNARTの>>40と同様通称デイトナと呼ばれる365GTB/4で、デザインも同じくジョバンニ・ミケロッティ。
ピニンファリーナの有機的なライン(もしくは自身の作アルピーヌA110やスピットファイアなど)とは対極をなす、直線的でエッジの効いたフォルムが特徴であり、
ミケロッティの最晩年の作品でもある。
フェラーリの北米進出当初(>>114)からそのアメリカ市場を取り仕切っていたのはルイジ・キネッティで、
最重要拠点である現地の趣味、趣向はキネッティの言葉を通じてエンツォに伝えられていた。
その彼が代表を務めていたのが>>153で述べたN.A.R.T(北米レーシングチーム)で、
彼のプロデュースしたワンオフ車という事でこの名前が付く。
ベース車輌は同じNARTの>>40と同様通称デイトナと呼ばれる365GTB/4で、デザインも同じくジョバンニ・ミケロッティ。
ピニンファリーナの有機的なライン(もしくは自身の作アルピーヌA110やスピットファイアなど)とは対極をなす、直線的でエッジの効いたフォルムが特徴であり、
ミケロッティの最晩年の作品でもある。
365 GTB/4 “Daytona”
'68年秋パリサロン発表モデル。有名な話だが、前年2月のデイトナ24hで無敵のフォードGT40を破り
330P4(>>156)と412Pのフェラーリが1.2.3フィニッシュした事からこの“デイトナ”という愛称になったと言われる。(という事でいい?村田さん)
ただし、一説にはエンツォがその勝利の時に考えた名称“デイトナ”が発表前に記者に漏れ正式名に出来なかったという話もある。
エンジン設計は当時市販車E/G部門責任者のジュリアーノ・デ・アンジェリスで60度のV12だが、後の365BB(>>66)用の120度V12や308(>>42,>>108他)用の90度V8とは
1気筒あたりの排気量(365cc)に加えボア×ストも共通の先進的モジュラー設計となっている。
尚、DOHCであり前述している様に名前の/4は4つのカムシャフト数を表す。
275GTB(>>85、>>117)の後継にあたり、デザインは後の308GTBと同じレオナルド・フィオラバンティ(ピニンファリーナ)が担当。
画像は前期型で、シャープなフロントエンドはたった4年前発表の275GTBや他のフェラーリとは一線を課すもので、当時としては画期的なデザインだったと思われる。
'68年秋パリサロン発表モデル。有名な話だが、前年2月のデイトナ24hで無敵のフォードGT40を破り
330P4(>>156)と412Pのフェラーリが1.2.3フィニッシュした事からこの“デイトナ”という愛称になったと言われる。(という事でいい?村田さん)
ただし、一説にはエンツォがその勝利の時に考えた名称“デイトナ”が発表前に記者に漏れ正式名に出来なかったという話もある。
エンジン設計は当時市販車E/G部門責任者のジュリアーノ・デ・アンジェリスで60度のV12だが、後の365BB(>>66)用の120度V12や308(>>42,>>108他)用の90度V8とは
1気筒あたりの排気量(365cc)に加えボア×ストも共通の先進的モジュラー設計となっている。
尚、DOHCであり前述している様に名前の/4は4つのカムシャフト数を表す。
275GTB(>>85、>>117)の後継にあたり、デザインは後の308GTBと同じレオナルド・フィオラバンティ(ピニンファリーナ)が担当。
画像は前期型で、シャープなフロントエンドはたった4年前発表の275GTBや他のフェラーリとは一線を課すもので、当時としては画期的なデザインだったと思われる。
365 GTB/4 “Daytona”(後期型)
1970年以降の後期型は修正された北米の保安基準に適合させるため、ヘッドライトがリトラクタブルに変更されている。
尚、前期型のスチール製ボディパネルは、ピニンファリーナ社の職人によってハンマーで叩き出されて加工された後、
スカリエッティ社に送られ、バッカリー社製のフレームと結合、組み立てられていたが、
'69年にフィアットが資本参加した際に一般的な機械プレス製法が取り入れられたため、
前期型までがカロッツェリア職人のハンドメイドによる最後のフェラーリとなっている。
因みに>>83のCompetizioneは71年ツール·ド·フランス(TDF)、72年ル・マンでクラス優勝したマシン。
デイトナは72〜74年でル・マンのGTクラス3連覇を達成。生産は'68〜73年(BBにスイッチ)であったのだが、
'74年の優勝は生産終了後であり他のレースでも長期に渡って活躍している。
コンペティションモデルを含めてこのGTB/4(ベルリネッタ)は1383台製造されている。
1970年以降の後期型は修正された北米の保安基準に適合させるため、ヘッドライトがリトラクタブルに変更されている。
尚、前期型のスチール製ボディパネルは、ピニンファリーナ社の職人によってハンマーで叩き出されて加工された後、
スカリエッティ社に送られ、バッカリー社製のフレームと結合、組み立てられていたが、
'69年にフィアットが資本参加した際に一般的な機械プレス製法が取り入れられたため、
前期型までがカロッツェリア職人のハンドメイドによる最後のフェラーリとなっている。
因みに>>83のCompetizioneは71年ツール·ド·フランス(TDF)、72年ル・マンでクラス優勝したマシン。
デイトナは72〜74年でル・マンのGTクラス3連覇を達成。生産は'68〜73年(BBにスイッチ)であったのだが、
'74年の優勝は生産終了後であり他のレースでも長期に渡って活躍している。
コンペティションモデルを含めてこのGTB/4(ベルリネッタ)は1383台製造されている。
365 GTB/4 “Prototipo”
上の生産数に含まれないであろう365GTBのプロトタイプで、2台現存し本車(シャーシナンバー10287)は330GTCのエンジンを積む。
量産型とほぼ同じボディ後半に対し、先代275GTBに似る当時のフェラーリらしいフロントエンドが与えられている。
尚、このクルマに関する詳しい詳しい記述が見つからなかった(英語を含む)ので、以下は俺の想像。
デザイナーのフィオラバンティは>>157を首脳陣(エンツォ)にプレゼンテーションしたが、あまりの革新的デザインにユーザーに支持されるか不安視された。
そこで用意したのがこの見慣れたフロントを与えたこのデザイン案なのではないだろうか?
よく見ると、275GTBよりシャープになってはいるがフロントタイヤから前の有機的な造形に対し、後半のプレスラインやキャビン造形がマッチしていない。
これは見慣れた古典的なデザインで安心感を与えつつも、わざとチグハグな造形にする事で首脳陣に>>157を選ばせるよう
フィオラバンティの仕組んだ確信犯的仕事だったのではないだろうかと推測する。
上の生産数に含まれないであろう365GTBのプロトタイプで、2台現存し本車(シャーシナンバー10287)は330GTCのエンジンを積む。
量産型とほぼ同じボディ後半に対し、先代275GTBに似る当時のフェラーリらしいフロントエンドが与えられている。
尚、このクルマに関する詳しい詳しい記述が見つからなかった(英語を含む)ので、以下は俺の想像。
デザイナーのフィオラバンティは>>157を首脳陣(エンツォ)にプレゼンテーションしたが、あまりの革新的デザインにユーザーに支持されるか不安視された。
そこで用意したのがこの見慣れたフロントを与えたこのデザイン案なのではないだろうか?
よく見ると、275GTBよりシャープになってはいるがフロントタイヤから前の有機的な造形に対し、後半のプレスラインやキャビン造形がマッチしていない。
これは見慣れた古典的なデザインで安心感を与えつつも、わざとチグハグな造形にする事で首脳陣に>>157を選ばせるよう
フィオラバンティの仕組んだ確信犯的仕事だったのではないだろうかと推測する。
166 MM/53 Abarth Spyder
1953年スクーデリア・ブラジリアは購入した166MM(>>60のヴィニャーレ・ボディ版)に対し更なる軽量化を計画。
それを当時スポーツカー・メーカー“チシタリア”のレーシングディレクター職を辞し、新生Abarthを立ち上げたばかりのカルロ・アバルトに依頼し出来たマシン。
かなりの軽量化を果たし1953年、54年シーズンに参戦し1953タルガフローリオでの大会デビューではクラス優勝を飾ったらしい。
本車はヘッドライト1個に補助灯2個のフェイスが非常に特徴的で、ボディパネルはレース損傷を考慮しパートごとの交換が容易出来るよう設計されている。
尚、カヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬)印はヘッドライト上、サソリ印はボディサイドに付く。
>>150を別にすれば(笑)フェラーリで唯一“アバルト”の名を冠するクルマである(たぶん)。
因みに、アバルトが社のマークにサソリを使っているのは創業者カルロ・アバルトの誕生月星座に由来する。
1953年スクーデリア・ブラジリアは購入した166MM(>>60のヴィニャーレ・ボディ版)に対し更なる軽量化を計画。
それを当時スポーツカー・メーカー“チシタリア”のレーシングディレクター職を辞し、新生Abarthを立ち上げたばかりのカルロ・アバルトに依頼し出来たマシン。
かなりの軽量化を果たし1953年、54年シーズンに参戦し1953タルガフローリオでの大会デビューではクラス優勝を飾ったらしい。
本車はヘッドライト1個に補助灯2個のフェイスが非常に特徴的で、ボディパネルはレース損傷を考慮しパートごとの交換が容易出来るよう設計されている。
尚、カヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬)印はヘッドライト上、サソリ印はボディサイドに付く。
>>150を別にすれば(笑)フェラーリで唯一“アバルト”の名を冠するクルマである(たぶん)。
因みに、アバルトが社のマークにサソリを使っているのは創業者カルロ・アバルトの誕生月星座に由来する。
250 LM Pininfarina Stradale Speciale
元々市販GTとして設定し、スポーツカークラスでレースに出場する予定だった(実際はプロトタイプクラスで参戦せざるをえなかった)
250LM(>>53)のさらなる一般公道向け仕様。英語が分からないのだが、生産数は1 + 2 conversionsとある。
普通の250LMと異なり、当時すでに古典的スタイルとなり始めていたスポークホイールや本革仕立ての内装、乗降性を考慮しヒンジで上下に開閉するルーフなどを装備。
さらに一番違うのは、より流麗な出で立ちを演出する大きなプレキシグラスのリアキャノピー型ウインドウ。
これは若き日のレオナルド・フィオラヴァンティ氏が初めて手がけたフェラーリである。
>>164
この先「フェラーリなら大排気量のV12でも買うよ」っていくら大金持ちが言っても、社会的に二酸化炭素をばらまき続ける訳にもいかんだろうし、
ダウンサイズ+ターボやPHV、レンジエクステンダー+EV、水素+EV等への流れの過程の途中でV6の選択肢も十分あるかもね。
エンツォ無き今では感情的にV6を選択する事は無く論理的に時期ユニットを選択するとしても、F1と同じモノという後押しは大きく働くかも知れないね。
ただ、フェラーリのプレステイジ性やカリスマ性、アイデンティティなんかを考えるとV6(その他も含む)でそれが表現可能なのかは、不安であり期待でもあるな。
元々市販GTとして設定し、スポーツカークラスでレースに出場する予定だった(実際はプロトタイプクラスで参戦せざるをえなかった)
250LM(>>53)のさらなる一般公道向け仕様。英語が分からないのだが、生産数は1 + 2 conversionsとある。
普通の250LMと異なり、当時すでに古典的スタイルとなり始めていたスポークホイールや本革仕立ての内装、乗降性を考慮しヒンジで上下に開閉するルーフなどを装備。
さらに一番違うのは、より流麗な出で立ちを演出する大きなプレキシグラスのリアキャノピー型ウインドウ。
これは若き日のレオナルド・フィオラヴァンティ氏が初めて手がけたフェラーリである。
>>164
この先「フェラーリなら大排気量のV12でも買うよ」っていくら大金持ちが言っても、社会的に二酸化炭素をばらまき続ける訳にもいかんだろうし、
ダウンサイズ+ターボやPHV、レンジエクステンダー+EV、水素+EV等への流れの過程の途中でV6の選択肢も十分あるかもね。
エンツォ無き今では感情的にV6を選択する事は無く論理的に時期ユニットを選択するとしても、F1と同じモノという後押しは大きく働くかも知れないね。
ただ、フェラーリのプレステイジ性やカリスマ性、アイデンティティなんかを考えるとV6(その他も含む)でそれが表現可能なのかは、不安であり期待でもあるな。
410 Superamerica (Series I)
375(>>103,>>138)の後継であるアメリカ市場向けモデルで、販売促進のため初めて“スーパーアメリカ”と名付けられた。
先代と同様ランブレーディ系60度V12エンジンは5Lまで拡大され340〜350psのパワーを発生し、最高速は220〜260km/hを記録。
アメリカ人の度肝を抜くためのフェラーリであったそうな。
1956年ブリュッセル・ショー発表の本車はピニンファリーナのデザイン。
410スーパーアメリカ・シリーズ(全3シリーズ)では初期の登場で、2年前発表の250GTエウローパ(>>138)ともやや印象の近い
当該国向けとしては比較的大人しいスタイリングを有する。
因みに画像の隣黄色はDino 206SP(>>195)で、その奥はルッソ(>>71)、カリフォルニア(>>48)、シルバーと左赤の後ろ向きは275GTB(>>85,>>117)で、
410スーパーアメリカに被るスパイダーは不明だが、その他F40やF50、599GTBなどが見える。
375(>>103,>>138)の後継であるアメリカ市場向けモデルで、販売促進のため初めて“スーパーアメリカ”と名付けられた。
先代と同様ランブレーディ系60度V12エンジンは5Lまで拡大され340〜350psのパワーを発生し、最高速は220〜260km/hを記録。
アメリカ人の度肝を抜くためのフェラーリであったそうな。
1956年ブリュッセル・ショー発表の本車はピニンファリーナのデザイン。
410スーパーアメリカ・シリーズ(全3シリーズ)では初期の登場で、2年前発表の250GTエウローパ(>>138)ともやや印象の近い
当該国向けとしては比較的大人しいスタイリングを有する。
因みに画像の隣黄色はDino 206SP(>>195)で、その奥はルッソ(>>71)、カリフォルニア(>>48)、シルバーと左赤の後ろ向きは275GTB(>>85,>>117)で、
410スーパーアメリカに被るスパイダーは不明だが、その他F40やF50、599GTBなどが見える。
410 Superfast Pinin Farina Speciale
“スーパーファスト”は“スーパーアメリカ”の上位バージョンで、名前の通り“凄いアメリカの凄く速いヤツ”って感じ。
410スーパーアメリカは375シリーズと同様、裕福な顧客の注文に応じた様々なボディタイプが作られ、それぞれがかなりワンオフに近い状態であった。
本車は上>>166をベースに同じ1956年に同じピニンファリーナデザインでパリサロンにて発表されたショーカーだが、
上とは異なり非常にアメリカナイズされた刺激的なデザインが与えられている。
特にリア周りに顕著で、鋭利なテールフィンやホイールスパッツはキャディラックの影響が大きかっただろうと言われている。
“スーパーファスト”は“スーパーアメリカ”の上位バージョンで、名前の通り“凄いアメリカの凄く速いヤツ”って感じ。
410スーパーアメリカは375シリーズと同様、裕福な顧客の注文に応じた様々なボディタイプが作られ、それぞれがかなりワンオフに近い状態であった。
本車は上>>166をベースに同じ1956年に同じピニンファリーナデザインでパリサロンにて発表されたショーカーだが、
上とは異なり非常にアメリカナイズされた刺激的なデザインが与えられている。
特にリア周りに顕著で、鋭利なテールフィンやホイールスパッツはキャディラックの影響が大きかっただろうと言われている。
410 Superamerica Ghia Coupe
当時のスーパーアメリカらしく印象的というか、フェラーリとしては変り種的なヤツをもう少し。
410スーパーアメリカはおなじみピニンファリーナをはじめスカリエッティ、マリオ・ボアーノ、ベルトーネなど
様々なカロッツェリアがボデイを架装して顧客達の幅広いリクエストに答えていたが、
本車はカロッツェリア・ギアがデザイン、製作したボディ。
これも1956年の製作で、テールフィン他アメリカンな装飾的スタイルが特徴で、逆スラントしたAピラーの回り込んだフロントガラスは当時のアメ車流行デザイン。
因みに、本車依頼主は異なるカロッツェリア(他はピニンファリーナとスカリエッティ)で3台を同時発注している。
当時のスーパーアメリカらしく印象的というか、フェラーリとしては変り種的なヤツをもう少し。
410スーパーアメリカはおなじみピニンファリーナをはじめスカリエッティ、マリオ・ボアーノ、ベルトーネなど
様々なカロッツェリアがボデイを架装して顧客達の幅広いリクエストに答えていたが、
本車はカロッツェリア・ギアがデザイン、製作したボディ。
これも1956年の製作で、テールフィン他アメリカンな装飾的スタイルが特徴で、逆スラントしたAピラーの回り込んだフロントガラスは当時のアメ車流行デザイン。
因みに、本車依頼主は異なるカロッツェリア(他はピニンファリーナとスカリエッティ)で3台を同時発注している。
400 Superamerica Pinin Farina Coupe Speciale
上3つより少し後になるが、400 Superamerica(>>79)をベースにしたフィアットの元名誉会長ジャンニ・アニエッリの為のワンオフ(1960年製作)。
(尚、400スーパーアメリカからはコロンボ系のショートブロックベースに変更されている)
フェラーリとしては上のギア・クーペよりも、むしろ普通っぽい四角いボディに4灯ヘッドライトというのがが非常に変わってる。
前述しているように、逆スラントAピラーや4灯ヘッドライトはアメリカの流行を取り入れたもの。
少し以前に画像を入手し、何も判らなかったのだが「ほんのちょっとカッコイイかも」と思っていて
最近これがフェラーリであり、尚且つピニンファリーナデザインである事が判明して二重に驚いた。
フェラーリとすると凄く珍妙という観念を頭から除外すれば、アメリカンな押し出しの強さと
ヨーロピアンなスマートさを併せ持つバランスの良いデザインのクーペだと思う。
上3つより少し後になるが、400 Superamerica(>>79)をベースにしたフィアットの元名誉会長ジャンニ・アニエッリの為のワンオフ(1960年製作)。
(尚、400スーパーアメリカからはコロンボ系のショートブロックベースに変更されている)
フェラーリとしては上のギア・クーペよりも、むしろ普通っぽい四角いボディに4灯ヘッドライトというのがが非常に変わってる。
前述しているように、逆スラントAピラーや4灯ヘッドライトはアメリカの流行を取り入れたもの。
少し以前に画像を入手し、何も判らなかったのだが「ほんのちょっとカッコイイかも」と思っていて
最近これがフェラーリであり、尚且つピニンファリーナデザインである事が判明して二重に驚いた。
フェラーリとすると凄く珍妙という観念を頭から除外すれば、アメリカンな押し出しの強さと
ヨーロピアンなスマートさを併せ持つバランスの良いデザインのクーペだと思う。
365 GT 2+2
365シリーズとしては初登場の365カリフォルニア・スパイダー(>>67)の翌年発表で、365GTB/4デイトナ前年の1967年発表(上350カンナムと同年)。
330GT 2+2(>>118)の後継にあたりフェラーリの2+2では初の全輪独立式サスペンション搭載。
また、パワステやパワーウインドウ、エアコン、車高調整油圧レベライザー搭載など、同年登場のDino206GT(>>96)との差別化から、
より一層の富裕層向け性格付けへとシフトしている。
尚、エンジンは4.4LのSOHCで、71年までに800台あまりが生産された販売上の中心的役割モデルであった。
ところで関係無いが、後ろに並ぶのは左赤車がミケロッティデザインのAbarth Fiat 850S Spider Allemanoで
中央黄色は同じくアバルトの750 Record Monzaと思われる。
で、右の車が不明なのだがコンパクトで何かカッコ良さげで、尚且つちょっとカワイイ。これは大いに気になるな。(楽しみが増えたかも)
365シリーズとしては初登場の365カリフォルニア・スパイダー(>>67)の翌年発表で、365GTB/4デイトナ前年の1967年発表(上350カンナムと同年)。
330GT 2+2(>>118)の後継にあたりフェラーリの2+2では初の全輪独立式サスペンション搭載。
また、パワステやパワーウインドウ、エアコン、車高調整油圧レベライザー搭載など、同年登場のDino206GT(>>96)との差別化から、
より一層の富裕層向け性格付けへとシフトしている。
尚、エンジンは4.4LのSOHCで、71年までに800台あまりが生産された販売上の中心的役割モデルであった。
ところで関係無いが、後ろに並ぶのは左赤車がミケロッティデザインのAbarth Fiat 850S Spider Allemanoで
中央黄色は同じくアバルトの750 Record Monzaと思われる。
で、右の車が不明なのだがコンパクトで何かカッコ良さげで、尚且つちょっとカワイイ。これは大いに気になるな。(楽しみが増えたかも)
365 GTC
365GTB/4デイトナと同年登場で、330GTC(>>119)の後継機種。
デイトナがフェラーリとして革新的デザイン進化を遂げてしまい、それに追従できない保守的な上流階級富裕層が
安心できるクラシカルデザインとしてデイトナ(本線のベルリネッタ)を補完する位置付け。
基本的に330GTCと同じスタイリングと思うが、前輪後方の側面にエアアウトレットが無いのが365GTCと思われる。
因みに、よく似合っている画像スポークホイールはノンオリジナルで、元は軽合金鋳造のアルミタイプである。
尚、名称が>>75に近いが、こちらは/4の無い(=DOHCでない)ただのGTCで、上365GT2+2ユニットを改良したSOHCエンジンを積む。
365GTB/4デイトナと同年登場で、330GTC(>>119)の後継機種。
デイトナがフェラーリとして革新的デザイン進化を遂げてしまい、それに追従できない保守的な上流階級富裕層が
安心できるクラシカルデザインとしてデイトナ(本線のベルリネッタ)を補完する位置付け。
基本的に330GTCと同じスタイリングと思うが、前輪後方の側面にエアアウトレットが無いのが365GTCと思われる。
因みに、よく似合っている画像スポークホイールはノンオリジナルで、元は軽合金鋳造のアルミタイプである。
尚、名称が>>75に近いが、こちらは/4の無い(=DOHCでない)ただのGTCで、上365GT2+2ユニットを改良したSOHCエンジンを積む。
365 GT/4 2+2
365 GT 2+2(>>171)の後継にあたる本車は1972年パリサロンデビューで、400(>>39)、412と変化して基本デザインは1989年まで生きながらえた。
名前が示すようにDOHCであり12気筒Vバンクの外側にキャブをレイアウトするエンジンをはじめメカニカルコンポーネンツは
基本的に365GTC/4(>>75)と同一(ホイールベースやリアトレッドは本車がやや大きい)。
トピックスは何と言ってもクラシカルな先代(>>171)から大きく変化した直線的でスクエアなデザイン。
フェラーリで示すピニンファリーナ流からするとやや異質だが(むしろベルトーネのDino308GT4>>102に印象が近い)、
後のFiat130クーペやロールスロイス・カマルグへと続く平行四辺形状の直線的Cピラーは同社クーペデザインの特徴を表す。
1976年に発表したランチア・ガンマ・クーペにも通じることからすると、S13シルビアデザインの遠い祖先と言えるかも知れない。
尚、排ガス規制の影響もあって重要販売拠点アメリカへは輸出されておらず、生産数は75年までの521台にとどまった。
因みに、400との外観上識別点はフロントのエアダムの有無やリア丸型コンビネーションランプ数(本車は片側3連、400は2連)などである。(365GT/4 BBと512BBの違いに近い)
ところで関係無いが、隣はジャガーEタイプの先代にあたるXK150。奥のバスみたいなポンコツはGMのフューチャーライナー(Futurliner)という
1953年に自社の宣伝用に12台製造したコマーシャル・コンセプトカーで、美しく復元された個体も別に存在する。
参考
ロールスロイス・カマルグ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/35...
ランチア・ガンマ・クーペ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1345117123/39...
365 GT 2+2(>>171)の後継にあたる本車は1972年パリサロンデビューで、400(>>39)、412と変化して基本デザインは1989年まで生きながらえた。
名前が示すようにDOHCであり12気筒Vバンクの外側にキャブをレイアウトするエンジンをはじめメカニカルコンポーネンツは
基本的に365GTC/4(>>75)と同一(ホイールベースやリアトレッドは本車がやや大きい)。
トピックスは何と言ってもクラシカルな先代(>>171)から大きく変化した直線的でスクエアなデザイン。
フェラーリで示すピニンファリーナ流からするとやや異質だが(むしろベルトーネのDino308GT4>>102に印象が近い)、
後のFiat130クーペやロールスロイス・カマルグへと続く平行四辺形状の直線的Cピラーは同社クーペデザインの特徴を表す。
1976年に発表したランチア・ガンマ・クーペにも通じることからすると、S13シルビアデザインの遠い祖先と言えるかも知れない。
尚、排ガス規制の影響もあって重要販売拠点アメリカへは輸出されておらず、生産数は75年までの521台にとどまった。
因みに、400との外観上識別点はフロントのエアダムの有無やリア丸型コンビネーションランプ数(本車は片側3連、400は2連)などである。(365GT/4 BBと512BBの違いに近い)
ところで関係無いが、隣はジャガーEタイプの先代にあたるXK150。奥のバスみたいなポンコツはGMのフューチャーライナー(Futurliner)という
1953年に自社の宣伝用に12台製造したコマーシャル・コンセプトカーで、美しく復元された個体も別に存在する。
参考
ロールスロイス・カマルグ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/35...
ランチア・ガンマ・クーペ
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1345117123/39...
Dino 156 F2
1955年にランチアから移籍したビットリオ・ヤーノ指導の下、フェラーリはV6レーシングエンジン開発に着手。
実際に設計・開発を担当したのは新進気鋭技師アンドレア・フラスケッティとE/G部門主任のフランコ・ロッキで、
エンツォの息子アルフレードはその最終段階の仕上げに参加している。
開発は当時のF2規定を満たす1500ccでスタートし、65度V6“Dino”エンジンとして初めて搭載されたマシンが本車である。
残念ながらF2としてはコンべントリー・クライマックス製4気筒エンジン搭載のクーパーに歯が立たなかったそうだが、(1957年)
1958年に246のF1(2000cc)に発展し、その年のドライバーズチャンピオンを獲得している。
その後は>>139の156F1シャークノーズへ進化。同じ156なのでF2とF1を名前の後に付けて区別している。
尚、アルフレードは自分が担当したエンジンの初勝利を見ることなく1956年6月に24歳で帰天してしまった。
本車に華々しい戦績はないが、息子を偲んでディーノと名づけられたエンジンを搭載した、フェラーリにとってマイルストーンと言うべきモデルである。
1955年にランチアから移籍したビットリオ・ヤーノ指導の下、フェラーリはV6レーシングエンジン開発に着手。
実際に設計・開発を担当したのは新進気鋭技師アンドレア・フラスケッティとE/G部門主任のフランコ・ロッキで、
エンツォの息子アルフレードはその最終段階の仕上げに参加している。
開発は当時のF2規定を満たす1500ccでスタートし、65度V6“Dino”エンジンとして初めて搭載されたマシンが本車である。
残念ながらF2としてはコンべントリー・クライマックス製4気筒エンジン搭載のクーパーに歯が立たなかったそうだが、(1957年)
1958年に246のF1(2000cc)に発展し、その年のドライバーズチャンピオンを獲得している。
その後は>>139の156F1シャークノーズへ進化。同じ156なのでF2とF1を名前の後に付けて区別している。
尚、アルフレードは自分が担当したエンジンの初勝利を見ることなく1956年6月に24歳で帰天してしまった。
本車に華々しい戦績はないが、息子を偲んでディーノと名づけられたエンジンを搭載した、フェラーリにとってマイルストーンと言うべきモデルである。
156/85
何とはなしに156つながりで。同じ1.5LのV6気筒だけれどこちらはターボ付き。
1985年のF1マシンでデザイナー(設計者)はハーベイ・ポスルスウェイト。
この年はミケーレ・アルボレートとルネ・アルヌーが駆りメイクスは2位だった。
因みに、メイクス1位がマクラーレンTAGポルシェで、それを駆ったアラン・プロストもドライバーズを取った年。
同年のロータスも似た感じでフェラーリ特有の話ではないが、もの凄くドライバーが前に座ってるなあ。
ほぼ30年もの隔たりはあるが、上との対比もちょっと面白い。
訂正
上>>174で言っている246F1は2000ccではなく2417cc(F1規定は2.5L以下)です。(2.4Lの6気筒で246だもの)
それと、もう一つ
>>157中の365GT/4BBは120度ではなく180度です。(BB=ベルリネッタ・ボクサーだもの)
何とはなしに156つながりで。同じ1.5LのV6気筒だけれどこちらはターボ付き。
1985年のF1マシンでデザイナー(設計者)はハーベイ・ポスルスウェイト。
この年はミケーレ・アルボレートとルネ・アルヌーが駆りメイクスは2位だった。
因みに、メイクス1位がマクラーレンTAGポルシェで、それを駆ったアラン・プロストもドライバーズを取った年。
同年のロータスも似た感じでフェラーリ特有の話ではないが、もの凄くドライバーが前に座ってるなあ。
ほぼ30年もの隔たりはあるが、上との対比もちょっと面白い。
訂正
上>>174で言っている246F1は2000ccではなく2417cc(F1規定は2.5L以下)です。(2.4Lの6気筒で246だもの)
それと、もう一つ
>>157中の365GT/4BBは120度ではなく180度です。(BB=ベルリネッタ・ボクサーだもの)
312 T5
“ボクサー”の話ついでに。 自然吸気3L,12気筒ボクサー312T5は312T2(>>46、>>124)の後継にあたり
T4からグランド・エフェクト・カー(ウイング・カー)へと変化している。
因みに、Tはギアボックスが横置き(横=Trasversaleの頭文字)を指し、モンディアルTや348tbのTも同じ意味。
グランド・エフェクト・(G,E)カーやこれ以前のF1は各社様々なデザインをトライしていて見ていて楽しかった。
(タイレル6輪や先進デザインのロータス、ビックリ・ドッキリのブラバムBT46Bなど)
特に当時のG,Eカーは現代の空力制御より単純で、飛行機の翼を逆さまにしてベンチュリー効果で地面に押し付けるという
理屈(=スタイリング)が非常に判りやすかった。
要は車体中心部で空気流速を高めて後方にスムーズに排出するのだが、各社G,Eカーは進化するにしたがって
それを車体全体で行なうようになっていった。
で、この312T5(T4)。フェラーリもその流れに乗りたいが、それまでは強さの根源であったパワフルな12気筒が仇となる。
低重心で幅の広い“ボクサー”エンジンが後方で空気のスムーズな排出を阻むのである。
画像で判るようにエンジン前でグランド・エフェクトを完結せねばならず、車体後半部をエフェクトに使えない。
はっきり言ってエンジンが邪魔なんである。(この様子は素人目にも非常に判りやすかったな)
1979年のT4こそメイクス(コンストラクターズ)だけは取れたが、G,Eカー全盛の翌80年のT5はシーズンで1勝もできずに終わった。
結局、フェラーリはF1でのボクサーエンジンをこの年で終了してしまうのであった。
(尚、上156/85はウイングカーが禁止規定されたフラットボトムのマシン)
“ボクサー”の話ついでに。 自然吸気3L,12気筒ボクサー312T5は312T2(>>46、>>124)の後継にあたり
T4からグランド・エフェクト・カー(ウイング・カー)へと変化している。
因みに、Tはギアボックスが横置き(横=Trasversaleの頭文字)を指し、モンディアルTや348tbのTも同じ意味。
グランド・エフェクト・(G,E)カーやこれ以前のF1は各社様々なデザインをトライしていて見ていて楽しかった。
(タイレル6輪や先進デザインのロータス、ビックリ・ドッキリのブラバムBT46Bなど)
特に当時のG,Eカーは現代の空力制御より単純で、飛行機の翼を逆さまにしてベンチュリー効果で地面に押し付けるという
理屈(=スタイリング)が非常に判りやすかった。
要は車体中心部で空気流速を高めて後方にスムーズに排出するのだが、各社G,Eカーは進化するにしたがって
それを車体全体で行なうようになっていった。
で、この312T5(T4)。フェラーリもその流れに乗りたいが、それまでは強さの根源であったパワフルな12気筒が仇となる。
低重心で幅の広い“ボクサー”エンジンが後方で空気のスムーズな排出を阻むのである。
画像で判るようにエンジン前でグランド・エフェクトを完結せねばならず、車体後半部をエフェクトに使えない。
はっきり言ってエンジンが邪魔なんである。(この様子は素人目にも非常に判りやすかったな)
1979年のT4こそメイクス(コンストラクターズ)だけは取れたが、G,Eカー全盛の翌80年のT5はシーズンで1勝もできずに終わった。
結局、フェラーリはF1でのボクサーエンジンをこの年で終了してしまうのであった。
(尚、上156/85はウイングカーが禁止規定されたフラットボトムのマシン)
275 GTS/4 NART
>>155で述べた重鎮ルイジ・キネッティのリクエストで作られた275GTB/4のスパイダー仕様。
>>117にあるように元々エレガントな275GTSが存在するするのだが、アメリカ市場を取り仕切る親分には気に入らなかったんであろう。
単純な当該国人に判りやすい攻撃的な275GTB/4の屋根無しそのものを望んだものと思われる。
なので、屋根が無く補強が入っている以外は275GTB/4とほとんどおなじ内容(機関)との事。
キネッティは25台を要請したが最終的には10台程度の生産で終わったらしい。
因みに、上の車名は手元の文献(2冊)に載っているものだが、ネットで画像を探すには275GTB/4 NART Spiderと入れなければ検索してくれなかった。
厳密には屋根あり車を指すベルリネッタ(B)のスパイダー(=屋根無し)って表記は変なんだけれどな・・・。
>>155で述べた重鎮ルイジ・キネッティのリクエストで作られた275GTB/4のスパイダー仕様。
>>117にあるように元々エレガントな275GTSが存在するするのだが、アメリカ市場を取り仕切る親分には気に入らなかったんであろう。
単純な当該国人に判りやすい攻撃的な275GTB/4の屋根無しそのものを望んだものと思われる。
なので、屋根が無く補強が入っている以外は275GTB/4とほとんどおなじ内容(機関)との事。
キネッティは25台を要請したが最終的には10台程度の生産で終わったらしい。
因みに、上の車名は手元の文献(2冊)に載っているものだが、ネットで画像を探すには275GTB/4 NART Spiderと入れなければ検索してくれなかった。
厳密には屋根あり車を指すベルリネッタ(B)のスパイダー(=屋根無し)って表記は変なんだけれどな・・・。
Cavallino Rampante
アルファロメオのレーシングドライバーだったエンツォに対し、
1924年、彼の闘志あふれるドライビングに感激したとある伯爵夫人から寄贈されたのが
このカヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬印)。
戦闘機乗りで34機ものドイツ軍機を撃墜しながらも戦死した伯爵夫人の息子(バラッカ)が
愛機にマーキングしていたモノで、
「あなたは、あなたのマシンに息子の跳ね馬のマークを付けて戦うのがふさわしい。」
と言われ与えられたとな。
ただ、この話にはオマケがあって、バラッカの機体のマークのネタ元はドイツ軍機と言われ、
それは当該機パイロットの出身地シュットガルト市の紋章の「跳ね馬」が使われていた。
そして、そのシュットガルト市の紋章を使用しているメーカーがこちら↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250041.jp...
出発点は全く違っても、始めから永遠のライバルと定められていたのかも知れない。
アルファロメオのレーシングドライバーだったエンツォに対し、
1924年、彼の闘志あふれるドライビングに感激したとある伯爵夫人から寄贈されたのが
このカヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬印)。
戦闘機乗りで34機ものドイツ軍機を撃墜しながらも戦死した伯爵夫人の息子(バラッカ)が
愛機にマーキングしていたモノで、
「あなたは、あなたのマシンに息子の跳ね馬のマークを付けて戦うのがふさわしい。」
と言われ与えられたとな。
ただ、この話にはオマケがあって、バラッカの機体のマークのネタ元はドイツ軍機と言われ、
それは当該機パイロットの出身地シュットガルト市の紋章の「跳ね馬」が使われていた。
そして、そのシュットガルト市の紋章を使用しているメーカーがこちら↓
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/img/car/13719628250041.jp...
出発点は全く違っても、始めから永遠のライバルと定められていたのかも知れない。
166 Spyder Corsa
>>82の125スポルトからスタートしたフェラーリマシンは159を経てこの166へ進化。
この166スパイダー・コルサは166シリーズの初期モデルで、>>60の166MMトゥーリング・バルケッタは
このマシンの機関を引き継いだもの。
尚、フェラーリ初期モデルのため、画像に見えるようにSOHCのシリンダー・ヘッド・カバーにはFerrariのロゴがまだ鋳造刻印されていない。
9台製作されたとされ、アマチュア・ドライバーやプライベート・チームに販売された初めてのフェラーリである。
当時の規則は緩やかでグランプリとスポーツカーレースの両方で活躍している。
又、プライベーターの参戦だが耐久レース(パリ12時間)として初の勝利をもたらしたマシンで、
そのドライバーは>>155、>>177で述べたルイジ・キネッティであった。
彼は本車でとあるレースのスピード記録を3つ樹立するなど、レースドライバー時代から欧米でフェラーリの名前を広める
重要な役割を果たしていた。(だからアメリカ輸入元を取り仕切る彼に対するエンツォの信頼も厚かったのだろう)
ところで、前身の125はジョアッキアーノ・コロンボ設計であったが、これは彼がアルファロメオを休職中に手掛けたもので、(アルバイトかな?)
フェラーリを恐れるアルファロメオはそれを知って慌てて彼を復職させている。
そこで実際の開発(125と159)は彼が推薦し後輩に当たるジュセッペ・ブッソが行なっていたが、
この166からはアルファを辞し正式にフェラーリ技師となったコロンボが主任設計員として設計から開発にも携わっている。
(そのせいか166からレース戦績がぐっと良くなってきている)
因みに、アルファ時代にコロンボの上司であったのがビットリオ・ヤーノ技師で、彼がアルファを辞しランチアで手腕を発揮していた為叶わなかったが、
本当はエンツォが始めから組みたかったのはヤーノ氏であっただろうと言われている。
(コロンボさんがちょっと可哀そうな話)
>>82の125スポルトからスタートしたフェラーリマシンは159を経てこの166へ進化。
この166スパイダー・コルサは166シリーズの初期モデルで、>>60の166MMトゥーリング・バルケッタは
このマシンの機関を引き継いだもの。
尚、フェラーリ初期モデルのため、画像に見えるようにSOHCのシリンダー・ヘッド・カバーにはFerrariのロゴがまだ鋳造刻印されていない。
9台製作されたとされ、アマチュア・ドライバーやプライベート・チームに販売された初めてのフェラーリである。
当時の規則は緩やかでグランプリとスポーツカーレースの両方で活躍している。
又、プライベーターの参戦だが耐久レース(パリ12時間)として初の勝利をもたらしたマシンで、
そのドライバーは>>155、>>177で述べたルイジ・キネッティであった。
彼は本車でとあるレースのスピード記録を3つ樹立するなど、レースドライバー時代から欧米でフェラーリの名前を広める
重要な役割を果たしていた。(だからアメリカ輸入元を取り仕切る彼に対するエンツォの信頼も厚かったのだろう)
ところで、前身の125はジョアッキアーノ・コロンボ設計であったが、これは彼がアルファロメオを休職中に手掛けたもので、(アルバイトかな?)
フェラーリを恐れるアルファロメオはそれを知って慌てて彼を復職させている。
そこで実際の開発(125と159)は彼が推薦し後輩に当たるジュセッペ・ブッソが行なっていたが、
この166からはアルファを辞し正式にフェラーリ技師となったコロンボが主任設計員として設計から開発にも携わっている。
(そのせいか166からレース戦績がぐっと良くなってきている)
因みに、アルファ時代にコロンボの上司であったのがビットリオ・ヤーノ技師で、彼がアルファを辞しランチアで手腕を発揮していた為叶わなかったが、
本当はエンツォが始めから組みたかったのはヤーノ氏であっただろうと言われている。
(コロンボさんがちょっと可哀そうな話)
365 P Pininfarina Speciale “Guida Centrale”
365カリフォルニア・スパイダー(>>67)と同時にパリサロンで発表された特別生産車で、その数2台なのでほぼショーピース。
そのカリフォルニアや365GT2+2(>>171)と同じSOHCのV12エンジンをミッドに搭載する。
レースカー(特にF1)で遅れをとったミッドシップレイアウトの採用は、市販車でも同様となってしまい
ランボルギーニ・ミウラの発表に合わせてフェラーリが用意した回答。
見るからにDino206GT(翌年発表)の先行アナウンス的なスタイリングは「ウチもMRスポーツ出すからもう少し待ってね」って感じか?
それを含め、珍しく英語サイトより以下↓が異様に詳しいのでそちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%...
尚、3座レイアウトで中央ハンドルは3Posti(トレポスティ)やGuida Centraleなどと呼ばれたらしいが、
それを強く推したのがルイジ・キネッティで、左もしくは右側通行どちらの国でも運転しやすいと、
レースドライバーを離れ販売促進に注力していた彼の考え方らしいのが面白い。
余談だが、Dino206GTに凄く近いデザインながら、ボディサイドのプレスラインは有機的な全体形状にそぐわないので、
量産型(Dino)でそれを排除したのはピニンファリーナの賢明な判断だったと考える。
365カリフォルニア・スパイダー(>>67)と同時にパリサロンで発表された特別生産車で、その数2台なのでほぼショーピース。
そのカリフォルニアや365GT2+2(>>171)と同じSOHCのV12エンジンをミッドに搭載する。
レースカー(特にF1)で遅れをとったミッドシップレイアウトの採用は、市販車でも同様となってしまい
ランボルギーニ・ミウラの発表に合わせてフェラーリが用意した回答。
見るからにDino206GT(翌年発表)の先行アナウンス的なスタイリングは「ウチもMRスポーツ出すからもう少し待ってね」って感じか?
それを含め、珍しく英語サイトより以下↓が異様に詳しいのでそちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%...
尚、3座レイアウトで中央ハンドルは3Posti(トレポスティ)やGuida Centraleなどと呼ばれたらしいが、
それを強く推したのがルイジ・キネッティで、左もしくは右側通行どちらの国でも運転しやすいと、
レースドライバーを離れ販売促進に注力していた彼の考え方らしいのが面白い。
余談だが、Dino206GTに凄く近いデザインながら、ボディサイドのプレスラインは有機的な全体形状にそぐわないので、
量産型(Dino)でそれを排除したのはピニンファリーナの賢明な判断だったと考える。
330 GTC Speciale “Princesse Liliane de Rethy”
上365Pの翌年、またはDino206GTと同年(1967年)に作られた特別注文生産の330GTCベースのスペチアーレ。
ベルギーのレオパルド三世の妻プリンセス・リリアン·デ・レティのために注文され、その他を含め計4台が作られた。
特徴は何と言っても365Pと同様でDinoよりも大きく湾曲したリアウインドウ。
元々は、ミッドシップ車でのクーリングやキャブへのエア導入のため必然と考えたリアウインドウ垂直化と
サイドから見たクーペスタイルを両立しながらも、斜め後方視界を確保するという合い矛盾する目的を解決するために
ピニンファリーナがあみ出したデザイン手法。
左ハンドルの本車の場合、リアウインドウを2度通過後リアサイドウインドウを通過(=3回ガラスを通過)して斜め後方を視認するという
画像右下に示すような全方位での好視界確保を主眼とするデザイン。
本車はフロントエンジンなのでこの構成(垂直に湾曲したウインドウ)を採る必然性はない(=機能的ではない)のだが、
見て判るように非常にエレガントなたたずまいで、プリンセスに送るにはもってこいのスタイリングとなっている。
因みに、これに近い見え方(デザイン)を後にフロントエンジン車で取り入れたのが
ジャガーXJ-S(http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/11...)なのだが、
同じような構成ながらも、使い方が違えばエレガントでもスポーティでもなくなってしまう残念な例となってしまっていた。
余談かも知れないが、全方位に視界が良いとされる本構成は、実際に運転席から斜め後ろを見た場合、
ガラスがカーブした部分では、画像左上に見るような歪んだ景色なる現実があったと想像する。
さらにこの手のスポーツカーを所望するユーザーが視認性の高さより格好良さを優先するも現実があった。
ピラーが細くやや弱々しいデザインよりピラーが太く力強いスーパーなクルマが求められていたため、
この手法が後世に長く引き継がれることは無かったのである。
上365Pの翌年、またはDino206GTと同年(1967年)に作られた特別注文生産の330GTCベースのスペチアーレ。
ベルギーのレオパルド三世の妻プリンセス・リリアン·デ・レティのために注文され、その他を含め計4台が作られた。
特徴は何と言っても365Pと同様でDinoよりも大きく湾曲したリアウインドウ。
元々は、ミッドシップ車でのクーリングやキャブへのエア導入のため必然と考えたリアウインドウ垂直化と
サイドから見たクーペスタイルを両立しながらも、斜め後方視界を確保するという合い矛盾する目的を解決するために
ピニンファリーナがあみ出したデザイン手法。
左ハンドルの本車の場合、リアウインドウを2度通過後リアサイドウインドウを通過(=3回ガラスを通過)して斜め後方を視認するという
画像右下に示すような全方位での好視界確保を主眼とするデザイン。
本車はフロントエンジンなのでこの構成(垂直に湾曲したウインドウ)を採る必然性はない(=機能的ではない)のだが、
見て判るように非常にエレガントなたたずまいで、プリンセスに送るにはもってこいのスタイリングとなっている。
因みに、これに近い見え方(デザイン)を後にフロントエンジン車で取り入れたのが
ジャガーXJ-S(http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1367805344/11...)なのだが、
同じような構成ながらも、使い方が違えばエレガントでもスポーティでもなくなってしまう残念な例となってしまっていた。
余談かも知れないが、全方位に視界が良いとされる本構成は、実際に運転席から斜め後ろを見た場合、
ガラスがカーブした部分では、画像左上に見るような歪んだ景色なる現実があったと想像する。
さらにこの手のスポーツカーを所望するユーザーが視認性の高さより格好良さを優先するも現実があった。
ピラーが細くやや弱々しいデザインよりピラーが太く力強いスーパーなクルマが求められていたため、
この手法が後世に長く引き継がれることは無かったのである。
375 MM Pinin Farina Spyder
本当は、今日本屋で立ち読みした雑誌「オクタン」で特集されたいた375プラスをアップしようかとネット検索していたんだが、
その最中にこの375MMピニンファリーナスパイダー画像が見つかったので予定変更。
(375プラスはいずれまた・・・?)
ストラダーレである>>103や>>138と基本的に同じエンジンからなるコンペティツォーニ。
コロンボ系との対比で「ビックブロック」と称されるランブレーディ系のV12、4.5Lエンジンからなり、12台製造されたとされる。
本車はシャーシナンバー0382AMで、1954年セブリング12時間にフィル·ヒルのドライブで出場されたマシン。
(レースはドライブシャフト破損で早期のリタイアに終わっている)
因みに、シャーシナンバーが偶数はコンペティツォーニで、奇数がストラダーレと区別されている。
375プラスや同時期の860モンツァ(>>129)と同じピニンファリーナで近い形状なのだが、
出っ張っていながら引っ込んでいるヘッドライトや下あごの引かれたフロントラジエーターグリルなど、細部が微妙に異なる。
実は以前にもアップしたことがあったのだが、当時は設計者ランブレーディ云々とかは判っていなかった。
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1345117123/14...
漠然と「いいな」とは思っていたんだが、判ってくるともっと超スゲーカッコイイ。
でも、もっと勉強すれば、さらにカッコイイのかも知れんなあ。
(因みにリンク先の固体はシャーシナンバー0374AMじゃないかと思う)
本当は、今日本屋で立ち読みした雑誌「オクタン」で特集されたいた375プラスをアップしようかとネット検索していたんだが、
その最中にこの375MMピニンファリーナスパイダー画像が見つかったので予定変更。
(375プラスはいずれまた・・・?)
ストラダーレである>>103や>>138と基本的に同じエンジンからなるコンペティツォーニ。
コロンボ系との対比で「ビックブロック」と称されるランブレーディ系のV12、4.5Lエンジンからなり、12台製造されたとされる。
本車はシャーシナンバー0382AMで、1954年セブリング12時間にフィル·ヒルのドライブで出場されたマシン。
(レースはドライブシャフト破損で早期のリタイアに終わっている)
因みに、シャーシナンバーが偶数はコンペティツォーニで、奇数がストラダーレと区別されている。
375プラスや同時期の860モンツァ(>>129)と同じピニンファリーナで近い形状なのだが、
出っ張っていながら引っ込んでいるヘッドライトや下あごの引かれたフロントラジエーターグリルなど、細部が微妙に異なる。
実は以前にもアップしたことがあったのだが、当時は設計者ランブレーディ云々とかは判っていなかった。
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1345117123/14...
漠然と「いいな」とは思っていたんだが、判ってくるともっと超スゲーカッコイイ。
でも、もっと勉強すれば、さらにカッコイイのかも知れんなあ。
(因みにリンク先の固体はシャーシナンバー0374AMじゃないかと思う)
312 (1969 F1)
1951年以来、F1では遠ざかっていたV12エンジンだったが、1966年から変更の排気量3L規定を機に再びそれが採用された312シリーズ。
'64年型Pシリーズの60度V12がベースで2バルブからスタートし'67年には4バルブへと進化している。
規定変更時の下馬評では、当時のプロトタイプやGTレースカーで3Lエンジンに経験豊富なフェラーリの優位性が高いとされていたが、
フタを開けて見ると不振の連続となったしまった。
特に'67年宿敵フォードから登場の名機コスワースDFVには苦しめられ、イギリスチーム(特にロータス49)になかなか勝てなかった。
'68、69年はジャッキー・イクスなどの名ドライバーが奮起したが、68年の優勝1回(フランスGP,イクス)だけと散々。
結局年間ランキングのポディウム中央への夢は、翌'70からの新ボクサーエンジンの312Bシリーズに委ねらる事となった。
画像車は最終'69年型で、リアウイングが付いたのは68年から。因みにF1でのウイング装備はフェラーリが最初であった。
個人的には、Vバンクの内側でとぐろを巻く排気管が懐かしく、逆にそのレイアウトを新鮮にも感じる。
1951年以来、F1では遠ざかっていたV12エンジンだったが、1966年から変更の排気量3L規定を機に再びそれが採用された312シリーズ。
'64年型Pシリーズの60度V12がベースで2バルブからスタートし'67年には4バルブへと進化している。
規定変更時の下馬評では、当時のプロトタイプやGTレースカーで3Lエンジンに経験豊富なフェラーリの優位性が高いとされていたが、
フタを開けて見ると不振の連続となったしまった。
特に'67年宿敵フォードから登場の名機コスワースDFVには苦しめられ、イギリスチーム(特にロータス49)になかなか勝てなかった。
'68、69年はジャッキー・イクスなどの名ドライバーが奮起したが、68年の優勝1回(フランスGP,イクス)だけと散々。
結局年間ランキングのポディウム中央への夢は、翌'70からの新ボクサーエンジンの312Bシリーズに委ねらる事となった。
画像車は最終'69年型で、リアウイングが付いたのは68年から。因みにF1でのウイング装備はフェラーリが最初であった。
個人的には、Vバンクの内側でとぐろを巻く排気管が懐かしく、逆にそのレイアウトを新鮮にも感じる。
▲ページ最上部
ログサイズ:330 KB 有効レス数:449 削除レス数:4
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
車/自動車掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
スレッドタイトル:好きなフェラーリ