Ferrari 330GTO
330GTOは330LMのシャーシに250GTO(62-63、
>>289)のボディを被せたもので、合計3台製造というから結構希少なモデル。
画像では判りづらいが、ボンネットに250より大きく高い膨らみが付くのが識別点。
因みに、個人的にレーシングカーは走っている姿もいいが、斯様なメカニックが群がっている写真も臨場感があって好きである。
ところで、ボディの250GTOについて
>>162でカロッツェリア・スカリエッティのデザインと記してしまったが、調べたら
風洞実験を踏まえながらデザインしたのは、主任設計員であったジョット・ビッザリーニ自身である事が判った。(スカリエッティは板金製造を担当)
で、凄いと思い調べたビッザリーニ(イタリア生まれで同国人)について経歴などまとめてみたい。(と言ってもほぼコピペ)
1954〜56:アルファ・ロメオ
希望していたエンジン開発ではなく、ジュリエッタのシャシー開発を命じられて失望する。
後に志願して新型車の開発部門に異動、テストドライバーも兼任。
1957〜61:フェラーリ
「こんなイカれたトポリーノを作るヤツはフェラーリに来るべきだ」とエンツォ・フェラーリに引き抜かれる。
主任設計員兼テストドライバーを勤める。
GTOを含む250シリーズ開発の中心人物(
>>320や
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1345117123/38...他)
ASA 1000GT(
>>360)も主任として手掛ける。
エンツォとの確執からフェラーリの重要ポスト4人と共に退社(そんな61年はフェラーリの危機でもあった)
尚、250GTOの完成は見ていない。
1961〜62:ATS
いっしょにやめたエンジン開発責任者・カルロ・キティとATSを結成するも1年で解散
ATS 2500GT:
http://bbs44.meiwasuisan.com/bin/read/car/1331111099/32...(フランコ・スカリオーネのデザイン)
1962:フリーのエンジニアに転身
250GTブレッドバン(
>>321)を製作。
>>472のイソと契約。リボルタやグリフォの車体設計(当時イソのE/Gはシボレー・コルベット用を使用)
1963:ランボルギーニとも契約、3.5リッターV12を設計(ミウラ、カウンタックのそれ)
このE/Gの基本設計はムルシエラゴまで継承される。
(以下、続く)
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