なぜこういう遊び心が日本メーカーには無いのか
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001 2025/06/07(土) 20:35:24 ID:ZaYg4ff0t6
002 2025/06/07(土) 20:41:42 ID:UNWbPmbtek
グレンジャーなんか知らないし
世界のほとんどが全く興味ない
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003 2025/06/07(土) 20:42:57 ID:Zd/ics4sqc
005 2025/06/07(土) 20:49:51 ID:jnxWpEcurc
だ~いちーとーうーみーとーあーおーぞーらーと~♪
とか知らねえよ馬鹿!
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006 2025/06/07(土) 21:13:29 ID:N/.cd7NAsY
007 2025/06/07(土) 21:50:53 ID:fJlqR29h4A
ジジイってエッジが立った車好きだよね
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008 2025/06/07(土) 21:54:58 ID:KmnTzr/.6I
009 2025/06/07(土) 22:36:19 ID:rbjDCk6zaY
010 2025/06/07(土) 22:41:29 ID:KmnTzr/.6I
20年ぶりにほとんど売れないまま野ざらしになっていたデボネアをモデルチェンジできたのも韓国の援助があったからこそ
と思ってるんだろ。まあ実際そうだけど。
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011 2025/06/07(土) 22:48:06 ID:nbjrbUn2Gk
012 2025/06/07(土) 22:56:10 ID:N/.cd7NAsY
>>8 デマ。
韓国の歴史改竄wikiにでも騙されたんだろう
デボネアのデザイナーはトリノのセッサーノ
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013 2025/06/07(土) 23:15:11 ID:jnxWpEcurc
そもそもヒュンダイ財閥を作ったのは三菱。
朝鮮財閥は全て元は日本企業。
例えばサムスン電子のwikiとか見てみろ。
この事実を朝鮮人らは知っとるんかね?
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014 2025/06/08(日) 00:26:58 ID:1BCqwscfmg
015 2025/06/08(日) 00:47:55 ID:ekyMVUkPjo
016 2025/06/08(日) 02:46:56 ID:UiZntkLEBA
017 2025/06/08(日) 08:36:40 ID:FOxj4o7IX2
結局さあ?
某社はヒュンダイの溶接棒つかってるしトヨタだって
車体制御とかのCPUは国内で作ってない(中国製なんじゃない)
最後に出てくる工場がトヨタなら日本製とかいうので満足なんだろ?
それって、北朝鮮のあさりを有明海で寝かせるのと変わんなくね?
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018 2025/06/08(日) 09:08:09 ID:gR/T8zrBuk
ヒュンダイの創業者 鄭周永のエピソード
2007年5月21日にインタビューで鄭は、自社が1万5000トン級の経験しかなかった時代に30万トン級の船を受注したため、
親しかった日本企業川崎重工会長に研修を頼んだ。しかし、1年間2人の現代造船社員の韓国人を研修員を働かせる許可を
貰って送り込んだ韓国人に対して、造船設計図から道具まで役立つことを全て盗むことを命じたことを明かしている。
2人が盗んだ総量はコンテナ2台分と明かし、「”技術を盗む”のは事実上国際的慣行だ」と主張し、それによって自社の企業
技術を高めたと述べている。
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019 2025/06/08(日) 10:49:40 ID:1BCqwscfmg
020 2025/06/08(日) 11:39:16 ID:5aBVYRUlsI
>>12 セッサーノはそれまでの三菱との関係からデザインに「関わった」だけだろ。
そもそもセッサーノは1970年代中盤~80年代までで以降はアドバイザーとして参画していただけ。
あの初代スタリオンだってデザインは日本人の青木秀敏
初代グレンジャーが出た1986年前後のステラやソナタを見ると同じデザインの流れなのがわかる。
ヒョンデ・グレンジャー初代(型式: YFL型、1986年 - 1992年)
1986年7月24日、それまでノックダウン生産されてきたフォード・グラナダを代替するフラッグシップモデルとして、またソウルオリンピックを前に同大会の公式スポンサーであった現代自動車が訪韓する各国のVIPの送迎車として、提携していた日本の自動車メーカー、三菱自動車工業に開発を依頼し、ボディ及びデザインは現代自動車が、エンジン及びパワートレイン、設計は三菱自動車工業が担当して発売。三菱自動車工業においても、フラッグシップモデルである三菱・A30/31/32/33型デボネアが22年間大幅な変更無しで販売されており、モデルチェンジを必要としていた為、双方の意見が合致し共同開発へ至った。
2代目(型式: LX型、1992年 - 1999年)
1992年9月18日、初代同様に三菱自動車工業に開発を依頼し、ボディ並びにエクステリア及びインテリアデザインは現代自動車が、その他パワートレイン等は三菱自動車工業が担当してニューグレンジャーとして発売。
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021 2025/06/08(日) 12:00:19 ID:OI8lIr8cU.
022 2025/06/08(日) 12:36:35 ID:gR/T8zrBuk
>>20 ウィキペディア出すなら何故こっちを見ない?
現代自動車はソウルオリンピックのオフィシャルスポンサーとなっていたが、
VIP向け送迎車に使える高級車を開発するノウハウが無かったことから、
ノックダウン生産前提の共同開発を三菱自動車に依頼した。これについては、
三菱自動車の社史に「1985年、韓国現代自動車とデボネア共同開発契約締結」
とある通りだが、時期的に契約締結時には既に2代目デボネアのクレイモデル
が完成し、設計作業に入っている段階であったことから、共同開発と銘打っ
てはいるが、実際の開発はほぼ三菱側が行ったものと思われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E3%83%...
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023 2025/06/08(日) 12:52:57 ID:nSL/YN/SzE
デボネアだけちゃうぞ。
ヒュンダイギャロッパーはパジェロの旧型がベース。
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024 2025/06/08(日) 12:57:33 ID:nSL/YN/SzE
ヒュンダイ スタレックスは旧型デリカ
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025 2025/06/08(日) 13:05:06 ID:nSL/YN/SzE
ヒュンダイ車は三菱製エンジンが載ってたり。
ラリーカーは中身がランエボだったり。
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026 2025/06/08(日) 13:12:36 ID:nSL/YN/SzE
ヒュンダイギャロッパーイノベーションは
初代パジェロベースでパジェロエボリューションぽくしたモデルw
三菱は戦犯企業ニダーって言ってなかった?
その「戦犯企業」とやらがヒュンダイ財閥を作って韓国を支えてきたって知らんのか?
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027 2025/06/08(日) 15:34:27 ID:5aBVYRUlsI
>>21 その画像って検索すると
Mitsubishi Lancer Fissore Prototype
The Mitsubishi Lancer Fissore Prototype was presented in 1979 as a styling study based on the platform of the second-generation Mitsubishi Lancer.
って出るんだけど。
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028 2025/06/08(日) 16:38:23 ID:5aBVYRUlsI
>>22 >三菱自動車の社史に「1985年、韓国現代自動車とデボネア共同開発契約締結」とある通りだが、時期的に契約締結時には既に2代目デボネアのクレイモデルが完成し、設計作業に入っている段階であったこと
このあたりはどーなの?
金もないのにクレイモデルなんか作るのか?
結局韓国がスポンサーについたりクライスラーからのエンジンの委託があったから頓挫していた2代目開発にこぎつけたんじゃね?
【中年名車図鑑|2代目 三菱デボネアV】“走るシーラカンス”は韓国の要望で生まれ変わった!?
https://www.excite.co.jp/news/article/Getnavi_355734... その証拠に初代から2代目までは20年も間が空いたのに次の3代目は既にヒュンダイのグレンジャー次期型と相互開発が決まっていたからたった6年で次期型がリリースされてる。
そのうえヒュンダイはグレンジャーの上にダイナスティという上級車種まで作って、三菱のほうは国内では2代目デボネアはさほど売れなかったにもかかわらず
韓国にならってプラウディアやディグニティという3代目デボネアの上級版・拡大版まで作っている。
まあ、三菱グループの政治的な何かあっての事なんだろうけど。
この3代目のデボネアのデザインを当時のレクサスなんかと比べると「和風」にも「欧州風」にも「北米風」にも見えないんだが。
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029 2025/06/08(日) 17:00:36 ID:5aBVYRUlsI
韓国に救われた三菱「デボネア」 22年間放置された「走るシーラカンス」
https://www.sankei.com/article/20160924-OL4B7KO6UBOV3... ただ
ソウル五輪に間に合え!!ヒュンダイ初の高級セダンとデボネアAMGの意外な関係とは??
https://motorz.jp/feature/68043... そこに降ってわいたのが1973年から技術供与契約を結んでいたヒュンダイからの「新型高級車を共同開発したい。」という話で、三菱にとっても渡りに船だった事から1985年に共同開発契約を結びました。
三菱と契約した1985年はもう発売前年だったので、共同開発とはいってもヒュンダイが関与できたのは限定的で、おそらくはエンジンラインナップや装備品、内外装の細部と言った商品企画についての部分では無かったかと思います。
なぜならば、日本の三菱 デボネアVが2リッター、あるいは3リッターV6エンジンと全車4速ATの組み合わせだったのに対し、初代グレンジャーは2リッター直4エンジン(三菱G63B)に5速MTを組み合わせて発売されたからです。
とあるように確かに2代目については慌てて参加したスポンサーの韓国の意向はそこまでではなかった・・とは思うけど。
まあ、ヒュンダイにしたら競合のデーウ ロイヤルにはなんとか勝負ができておまけにそこそこ売れたから三菱との関係を強化しても悪い話にはならんだろ・・と思ったんだろ。
*画像はデーウ ロイヤル・・・トヨタクラウンではなないw この手の6ライトのたたずまいは当時の韓国高級車では特有。日本じゃめったに見ないけど。
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030 2025/06/08(日) 18:41:17 ID:OI8lIr8cU.
>>27 2代目ランサーは1979年発売なのでその年にようやくスタイリングスタディ発表ってのは明らかに誤り。
1986 Mitsubishi Debonair - S10
From 1977, Open Design, founded by Aldo Sessano, became one of Mitsubishi Design's regular consultants.
Over the years, Sessano's firm has submitted for the Japanese manufacturer a cohesive line-up remarkably implemented
on the whole range: the Colt/Mirage in 1978, the Lancer EX in 1979 and the Galant/Sigma/Eterna Mk4 in 1980.
For the design of the future Debonair (S10) to be launched in 1986, Sessano continues to unroll his thread and presented
in 1979 this first full-size model, assembled by Fissore.
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031 2025/06/08(日) 20:04:14 ID:5aBVYRUlsI
>>30 誤りなのは君の翻訳な。
「三菱ランサー・フィッソーレ・プロトタイプは、2代目三菱ランサーのプラットフォームをベースにしたスタイリングスタディとして1979年に発表されました。三菱自動車工業の委託を受け、イタリア・サヴィリアーノのカロッツェリア・フィッソーレ社で製作され、デザイン監修はアルド・セッサーノが担当しました。このプロトタイプは、欧州のデザイン言語を日本の機械プラットフォームに統合することに重点を置き、三菱のコンパクトセダンの美的方向性の見直しを模索するために開発された。
シャシーは三菱A170系ランサーをベースに、フロントエンジン・リアドライブ方式を維持しました。機械部品は量産仕様とほぼ同等で、排気量1.2リッターから1.8リッターまでの直列4気筒エンジンを搭載しています。当時、三菱はターボチャージャー付きバージョンも検討していましたが、プロトタイプに過給機が搭載されていたかどうかは不明です。ボディワークはフィッソーレ社によって全面的に刷新され、軽量複合材とスチールパネルが採用されました」
つまりその後のランサーはFFになっているのでこのプロトタイプはその後に続いていない。デボネアではなくおそらくコルディア・トレディアあたりへの系譜だろう。
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032 2025/06/08(日) 20:12:04 ID:5aBVYRUlsI
1982年にセッサーノが出した2代目デボネアのデザインスタディはこれらしいが・・(FBより)
これのどこに2代目の面影があるのか??
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