MID4はなぜNSXになれなかったのか
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001 2024/10/26(土) 14:43:09 ID:tloCRRoBfk
002 2024/10/26(土) 15:16:54 ID:qeZDviM/MQ

気合とやる気がそれほどでもなかったんやろ
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003 2024/10/26(土) 16:13:29 ID:mGa3U4wAUU
当時はスーパーカーなんてチャラチャラした茶番的なものは日本国内では嫌われていた。特に価格面。
軽は100万円くらい、普通車は200万円位、スポーツカーが300万くらい。高級車は4~500万くらい。
車を何千万円で買うなんて感覚は当時の日本には皆無に近かった。よって許可が下りなかったのだろう。
国産車が世界的になったのはR35GTーRが最初で600万くらいだった車体は大ヒットにより倍以上の金額まで高騰し一千万円のラインをやすやすと越えてしまった。おそらくそれが日本で初めての一千万円オーバー量産市販車だろう。
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004 2024/10/26(土) 17:00:11 ID:Z4qPgsF.xM
市販化に至らなかったのは、過剰な設備投資により日産自動車の財務状況が悪化していたことや、
総合自動車メーカーとして採算面での問題がクリアできなかったことが理由とされる。
当時、日産自動車の開発部門マネージャーとしてヨーロッパに駐在し、ヴァイザッハにあるポルシェの研究所にも
出入りしていた武井道男によれば、当時市販化に向けて3代目の試作車をどうするかを検討するにあたり、
959を発売したばかりのポルシェで相談するように日産自動車の副社長より指示があり、相談したところ、
「959のようなクルマは、採算を度外視して、ポルシェが持てる力を全部そこに集中して初めて出来るようなクルマなんだ。
そのためには、それこそが我らの仕事だと発想できるような組織が必要だ。組織というのは、つまり人間だよ。
かじり付いてでも完成させるんだ!我らの技術の粋を見せてやるんだ!!っていう気概を持って仕事に取り組んでいる
人間で構成されている組織かどうかということだ。ポルシェはそうだ。日産は、どうなんだい?」
…と言われ、それを本社に伝えたところ、あっという間に中止の結論が出たという。
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005 2024/10/26(土) 19:38:30 ID:RweQIsp3FY
もともと市販化する計画なんてひとかけらもなかったんだ なにいってんだ ばかか。
当時の日産の財務状況調べりゃアホでもわかるわ。
モーターショーに出品するための話題車。
それどころか本当はいろんな技術をいろんなショーカーに‥の予定がそれすらできないから
MID4にまとめて盛り込んだんだよ。
ただしこの車の数々の小さい技術はその後にちゃんと市販車にいかされてるからまあよかったんだろうね。
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