レス数が 450 を超えています。500を超えると表示できなくなるよ。
フロント・スタビライザーがすぐ壊れて操縦性が狂う
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001 2018/06/02(土) 15:46:32 ID:MWMpCCsgFA
069 2018/08/01(水) 22:35:46 ID:V2kg/De8b6
097 2018/09/11(火) 22:03:20 ID:4veJGIUfKA
098 2018/09/11(火) 22:15:30 ID:5TgYHTzLOg
117 2018/09/27(木) 00:58:26 ID:x7fVEwz2W2
トヨタの野崎喩氏が一人でデザインしたことが彼の死後、 記念館の資料により明らか
となっている。
もちろん開発の主導も常にトヨタ側にあった。
プロジェクトリーダーの河野二郎、デザイン担当の野崎喩、エンジン担当の高木英匡、
シャシーと全体レイアウトの山崎進一の4人を中心にヤマハと共同開発が開始された。
ヤマハと組む以前にスポーツカー開発はスタートしており、基本設計は完成していた。
レギュラーなトヨタ車に比べるとリーダーである河野二郎個人の意向が強く反映され
たクルマでもある。
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133 2018/09/29(土) 21:52:02 ID:sa3Gv7G6d.
「ヤマハ2000GT!ヤマハ2000GT!」と叫ぶ奴が、お約束のごとく現れるなぁ車板には…
トヨタに恨みを持つ期間工クンの嘆きはもう聞き飽きたから、それは置いとく。
で、トヨタ2000GTは、隼人ピーターソンが言うほど素晴らしい車なのか?
日本の車が世界へ飛躍する段階での、フラッグシップカーだというのは解る。
しかし性能をぐぐると、コーナーリング性能はさほどでもないみたいだ。
加速や最高速度も、あの当時では悪くはないが、それほど騒ぐほどでもない。
でも個人的にはあのデザインが大好きだし、とても贅沢に出来てるし、名車扱いをしてほしいんだけどね。
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152 2018/10/02(火) 03:52:08 ID:0xNZ.t5ZXE
イタリア車とイギリス車に乗る日本人に素朴な
疑問を投げ掛ける日本車乗りの在日ハーフw
だれだてめえは!?
フフフ五台での競り合い見せて貰った
素晴らしかったよ中々やるねえ
ほう・・・そういうからには自信があるんだな
で、お前さんの車は?フェラリーか
それともマセラッティかい?
ユーたち日本人なのにどうしてそう
外車に乗りたがるのかね?
日本にも素晴らしい車が沢山あるじゃないか
その中でもミーの愛車あれが日本の誇る最高の車ね!
バーン!
・・・・・・・・・!
幻の名車と言われるヤマハ2000GT
●我が国が世界に誇る本格的スポーツカー
昭和45年に生産中止
現在ではその数が100台を割ると言われている
★YAMAHAヤマハ2000GT
●エンジン 水冷直列6気筒DOHC
●総排気量 1988cc
●最高出力 150PS/6600rpm
●最大トルク18kgm/5000rpm
●最高速度 215km/h
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153 2018/10/02(火) 09:11:40 ID:UeZzJjqom.
↑
と、書き込んであると・・・
俺様の大予言
トヨタ信者が必死になって言い返してくるであろう 笑
↓
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154 2018/10/02(火) 11:38:03 ID:PptnKmEEYk
名車であるが故に、数多の“根拠無き俗説”に包まれてきた『トヨタ2000GT』。その“試作車”が誕生して半世紀を迎えた今、開発ドライバーとして現場に身を置き製作過程を見てきた細谷四方洋氏が、「これだけは言っておく」と名乗りを上げた!
「勿論、我々にとってヤマハの協力は大変嬉しいことだったし、製造面での技術協力が無ければこれほど短期に完成していなかった」と、ヤマハの製造能力を高く評価。「ただ、合意した時点で既にトヨタ側の初期設計は5分の1の全体図も完成し、強度設計まで済んでいた。後は『これをどこで作ってもらおうか?』という段階にまで進んでいて、関東自動車(現在のトヨタ自動車東日本)等の名前も挙がっていた。
そこに、ヤマハからの申し出である。『大量生産を主眼とせず、仕上げの良さを旨とする』というコンセプトの2000GT、トヨタとしてもヤマハの技術力はまさに“渡りに舟”ということで、申し出を快諾した」。こうして、トヨタ主導でヤマハとの共同開発が始まったのであり、初期段階ではヤマハが関与する余地は無かった。では、ヤマハの役割とは? 「トヨタの量産エンジンをベースにDOHCを開発。更に、あの美しいメーターパネルはピアノ等に使用するローズウッドの特級品、スイッチレバーは操作時に雑音が出ないというエレクトーンの最高級品等、ヤマハの技術と製品をふんだんに使用することができた。」と細谷氏は証言した。
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155 2018/10/02(火) 11:41:02 ID:PptnKmEEYk
「『トヨタとして、しっかりとした技術的象徴を作りたい』という思いの下、プロジェクトリーダーの河野二郎さんを中心に、デザイナーの野崎喩さん、エンジンの高木英匡さん、足回り担当の山崎進一さん、ドライバーとして私が参加。後に、私はデザイナーの野崎さんのアシスタントも務めることになる。そんな我々の元に共同開発の話があったのは、1964年10月末。その後にヤマハを訪れ、我々は中止になった日産A550X計画の試作車を実見している。が、既に我々は初期開発が一段落していた頃。スタイルもほぼ出来上がっていた」という。A550Xの写真と比べてもらえればわかるが、デザインは似て非なるもの。「共通していると言えば、ヘッドライトがリトラクタブルであったりと幾つかあるかもしれないが、それはタイヤが4個あるのと同じ程度の問題」と、細谷氏は一笑に付す。「私が元気なうちに真実を語らなければいけない…」。未だネット上には多くの都市伝説が蔓延るが、これこそ生きた証言だ。
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-390.html?s...
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160 2018/10/03(水) 21:15:36 ID:DSDHMQsqKs
トミ・マキネンの作った86の下回りを見たときにビビったw
フロントスタビが結構細い。わざと細いやつを使っている。
おりゃ、強ければ強いほど良いと思ってたので…
多分、使うショックやサスの相性があると思う。
たぶんね、KWとかコニのショックを使っている。
国産のショックとはぜんぜん違うから。
そういうことをまいらに言ってもしょうがねぇか…
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161 2018/10/03(水) 21:36:17 ID:ru7kYGbC8o
20年も前だが、当時を知る「生きた化石」みたいなレース屋の重鎮に
日産と別れて行き場に困ったヤマハが、
マジでモータースポーツに力入れるぜ!って体制だったダイハツに話を持ちかけたら、
そこでトヨタを紹介されたって話は聞いたな。
確かに60年中頃からダイハツは日本GPに力を入れていたから、
スポーツカーに関わりたいヤマハが、モータースポーツやスポーツカーに消極的なトヨタより、ダイハツへ売り込みに行ったのは判る。
トヨタのモータースポーツは下請けの会社の同好会か、勝手にやってる外部会社しかなくて、後にトムスですら非協力的だと嘆いていた始末だから。
本社がモータースポーツに関わってくるのはずっと後の時代だしな。
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165 2018/10/03(水) 22:57:38 ID:ru7kYGbC8o
>>163 ね?
やっぱレースは下請け任せの同好会だったんだよ。
80年代にもベースエンジンを貸すか貸さないか程度の事で揉めてたからわかる。
元ディーラーの同好会がルマンを制しちゃうまでに協力しちゃうメーカーもあるけど。
今はずいぶん変ったもんだよ。
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167 2018/10/04(木) 09:48:22 ID:xwsSPTq.qU
1960年代の体制はトヨタ自動車工業(自工)とトヨタ自動車販売(自販)の2系列。
自工では63年の第一回日本グランプリ開催をきっかけとして、自工・ダイハツ・日本電装・自販のレース
経験者が集まる第7技術部が発足。
第7技術部は市販車の改造に加えてスポーツプロトタイプを開発し、ワークス格の「チーム・トヨタ」が
日本グランプリなどの主要イベントに参戦した。
自販はトヨペットサービスセンター特殊開発部がツーリングカーのチューニングを行い、若手ドライバー
主体のセミワークス的な活動を行った。
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