福沢幸雄事故死トヨタ証拠隠蔽事件、殺人マシンのトヨタ7(3000ccV型8気筒330馬力)
1969年、静岡・袋井のヤマハテストコースで、福沢がトヨタ7のクローズドボディ試作車を
テスト走行中ストレートで車の挙動が不安定になり、コースアウトし鉄製標識に激突炎上
福沢は即死。トヨタは企業秘密保持の為に事故車両を早々と撤収し、証拠隠蔽を図った。
警察の現場検証に対してさえも企業秘密保持の為に、証拠資料として事故車両とは全く違う
タイプのレーシングカーの写真を提供したり、事故の原因はマシンではなくドライバー側に
非があると主張するなど、非常に一方的で尚且つ不遜で不誠実な対応であった。
この事は多くの新聞や雑誌、果ては国会でも取り上げられて社会問題にもなった。トヨタの
不誠実な対応に対し福沢の父の進太郎は、息子の名誉回復の為トヨタに対し訴訟を起こした。
1981年、トヨタが6100万円を支払い和解が成立、だが事故原因の真相は未だに謎のまま。
ファッションモデルでもある福沢は芸能人とも親交があり、人気歌手が追悼アルバムを発売
したり、恋人の歌手が生の歌番組で号泣したりする等、彼の死は芸能界でも波紋を呼んだ。
トヨタ自動車の基本常識はバレたら困る事は徹底的に隠す
ここの隠蔽体質は大昔から酷いもんだね・・・
その隠蔽体質は今も変わらない・・・
トヨタは恥を知りなさい
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