名車であるが故に、数多の“根拠無き俗説”に包まれてきた『トヨタ2000GT』。その“試作車”が誕生して半世紀を迎えた今、
開発ドライバーとして現場に身を置き製作過程を見てきた細谷四方洋氏が、「これだけは言っておく」と名乗りを上げた!
「勿論、我々にとってヤマハの協力は大変嬉しいことだったし、製造面での技術協力が無ければこれほど短期に完成していな
かった」と、ヤマハの製造能力を高く評価。「ただ、合意した時点で既にトヨタ側の初期設計は5分の1の全体図も完成し、
強度設計まで済んでいた。後は『これをどこで作ってもらおうか?』という段階にまで進んでいて、関東自動車(現在のトヨタ
自動車東日本)等の名前も挙がっていた。
そこに、ヤマハからの申し出である。『大量生産を主眼とせず、仕上げの良さを旨とする』というコンセプトの2000GT、トヨタ
としてもヤマハの技術力はまさに“渡りに舟”ということで、申し出を快諾した」。こうして、トヨタ主導でヤマハとの共同
開発が始まったのであり、初期段階ではヤマハが関与する余地は無かった。では、ヤマハの役割とは? 「トヨタの量産エンジン
をベースにDOHCを開発。更に、あの美しいメーターパネルはピアノ等に使用するローズウッドの特級品、スイッチレバーは操作
時に雑音が出ないというエレクトーンの最高級品等、ヤマハの技術と製品をふんだんに使用することができた。」と細谷氏は証言
した。
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