「粘着トヨタ嫌い」に贈る、『ホンダ・モータースポーツ 悪業と顰蹙の遍歴』
【F1 第三期】
中堅コンストのBARと組んでの参戦、「まずは1勝、2年目以降にシリーズチャンピオンを」と高らかに目標を掲げるが
初年度からミナルディとランキング最下位を争う始末。鈴鹿スペックは毎年ブローし、鈴鹿の秋の風物詩となる。
特に2001年鈴鹿はグランドスタンド前ストレートでミナルディにぶち抜かれ、詰めかけたファンに絶望と失望を提供する。
2005年開幕戦はレギュレーションを逆手に取り次レースをフレッシュエンジンを得るため偽装リタイヤ、FIAに目をつけられ
第2戦では最低重量規定違反に追い込まれ前代未聞の2レース出場停止処分を受ける。
2007年は全チームで一番高い開発費用を費やしながらマシンの開発に失敗、変なカラーリングのマシンはヘンテコな空力付加物を
いっぱい付けてスーパーアグリのケツを追いかけ、世界中のF1ファンの失笑を買う。
日本のチームのはずが棚ボタの1勝をあげてからはイギリス人首脳の金づる言いなり状態で、日本で人気のあったSAF1には ペイドライバーの起用を認めない、
開発したウイングの使用を認めないなどチーム運営に度々干渉、 挙句の果てには交渉中のスポンサーを堂々名指しで批判や
実態のないペーパーカンパニーをスポンサーとして紹介するなどあの手この手で資金難に陥らせチームを解散に追い込み、
純粋にホンダを応援していたファンに"ホンダF1お家騒動"をまざまざと見せつけ、日本での急速なF1人気低迷の原因を作る。
結局ホンダ自身もリーマンショックによる金融不安を理由に逃げるように撤退。
撤退の際は社長自ら「参戦休止ではなく撤退だ」「F1は時代遅れ」と負け犬の遠吠えレベルの発言を行うが、ホンダF1の遺作となったマシンは開発期間もないまま
ぶっつけ本番でメルセデスエンジンに積み替えて出走、ホンダが成し得なかったドライバー・コンストのダブルタイトルを獲得。
バトンはメルセデスエンジンのパワフルさと信頼性の高さに驚き、ロートルのバリチェロでさえ2勝をあげ、
これまでいかにホンダエンジンが足を引っ張っていたかが明白の事実となる。
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