166 Spyder Corsa
>>82の125スポルトからスタートしたフェラーリマシンは159を経てこの166へ進化。
この166スパイダー・コルサは166シリーズの初期モデルで、
>>60の166MMトゥーリング・バルケッタは
このマシンの機関を引き継いだもの。
尚、フェラーリ初期モデルのため、画像に見えるようにSOHCのシリンダー・ヘッド・カバーにはFerrariのロゴがまだ鋳造刻印されていない。
9台製作されたとされ、アマチュア・ドライバーやプライベート・チームに販売された初めてのフェラーリである。
当時の規則は緩やかでグランプリとスポーツカーレースの両方で活躍している。
又、プライベーターの参戦だが耐久レース(パリ12時間)として初の勝利をもたらしたマシンで、
そのドライバーは
>>155、
>>177で述べたルイジ・キネッティであった。
彼は本車でとあるレースのスピード記録を3つ樹立するなど、レースドライバー時代から欧米でフェラーリの名前を広める
重要な役割を果たしていた。(だからアメリカ輸入元を取り仕切る彼に対するエンツォの信頼も厚かったのだろう)
ところで、前身の125はジョアッキアーノ・コロンボ設計であったが、これは彼がアルファロメオを休職中に手掛けたもので、(アルバイトかな?)
フェラーリを恐れるアルファロメオはそれを知って慌てて彼を復職させている。
そこで実際の開発(125と159)は彼が推薦し後輩に当たるジュセッペ・ブッソが行なっていたが、
この166からはアルファを辞し正式にフェラーリ技師となったコロンボが主任設計員として設計から開発にも携わっている。
(そのせいか166からレース戦績がぐっと良くなってきている)
因みに、アルファ時代にコロンボの上司であったのがビットリオ・ヤーノ技師で、彼がアルファを辞しランチアで手腕を発揮していた為叶わなかったが、
本当はエンツォが始めから組みたかったのはヤーノ氏であっただろうと言われている。
(コロンボさんがちょっと可哀そうな話)
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