Jaguar XJ13
'55〜57年ル・マンのDタイプによる破竹の3連勝も、60年代のジャガーにとっては過去の栄光となり、
慢性的な経営難に陥っていたこともあり世界耐久選手権での総合優勝は夢の彼方に。
しかも当時の親会社ブリティッシュ・レイランドは金食い虫のワークスレース活動には甚だ否定的であり、
レーシングカー開発資金の調達もままならない状況だった。
それでも'64年ジャガーの開発陣は新型プロトレーサーの設計に着手、それがXJ13である。
V型12気筒エンジンを用い、当時ローラやロータスが取り入れ始めたばかりのミッドシップレイアウトをいち早く導入したが、
親会社の同意がない細々とした作業だったため1号車が完成したのは2年後の'66年とな。
しかも、予算不足のため走行テストは休日のみの条件下で行われ1年間での進展は少なかったそうだ。
そして運命の'67年。グループ6スポーツプロトタイプの最大排気量を3Lに制限するというレギュレーション変更により、
5LのXJ13は参戦不可能に。25台の量産規定をクリアし、グループ4のホモロゲ取得での参戦可となる道も残されていたが、
当時のジャガーにXJ13の量産化など望むべくもなかった。
こうしてXJ13は開発中止となり1度もレースに出場せずに終わったのであった。
その後、'72年Eタイプ・シリーズⅢに搭載されるV12エンジンのプロモーションフィルムを撮影するために駆り出された際、
3年以上放置されていたことが祟り、テストセンターの高速周回路のバンクを走行中にリアホイールが破損、
そのまま大クラッシュしてしまったのである。(ネット上に写真あり。原型とどめず)
画像車はジャガー開発陣の手によって、2年後にオリジナルの図面や治具、型を用いて正確に再現された1台だそうな。
(グッドウッドフェスティバル・オブ・スピードでの走行場面。実物見たいよ〜)
オリジナルは存在しないし(再現車でも1台のみ)、レースにも出場していないのにレプリカが多数存在するのは
ユニーク(唯一無二)かつ“非常に美しいマシン”であるからに他ならないと、俺は大確信するのである。
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